日本ビクター(読み)にっぽんビクター

百科事典マイペディア 「日本ビクター」の意味・わかりやすい解説

日本ビクター[株]【にっぽんビクター】

大手AV機器・ソフトメーカー。1927年米国ビクタートーキングマシン社の日本法人として設立。1939年国産初のテレビ受像機を完成。1954年EPレコードの国産第1号発売。音響専業メーカーとして成長するが,戦後復興過程で経営危機に直面し,1953年松下電器産業による資本参加を受ける。1954年にカラーテレビを開発し映像部門に進出。1976年には,VHS方式VTRを開発・発売し,その後もAV分野のハード・ソフト両面ともに力を注いでいる。特に,サザンオールスターズ等を擁する子会社を抱え,音楽ソフトに強み。海外では〈JVC〉ブランドとして知名度が高い。現在は,ディスプレーと光ディスク事業を強化。2008年にはケンウッドと共同持株会社JVC・ケンウッド・ホールディングス(2011年にJVCケンウッドに社名変更)を設立。2011年JVCケンウッドに吸収合併された。
→関連項目高柳健次郎

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本ビクター」の意味・わかりやすい解説

日本ビクター
にっぽんビクター
Victor Company of Japan, Limited; JVC

音響・映像機器を主力とする電機メーカー。1927年アメリカ合衆国のビクター・トーキング・マシン(1929年 RCAビクターに改組)の全額出資で日本ビクター蓄音器として設立。1931年より国産ポータブル蓄音器,電気蓄音器などの生産を開始。1938年 RCAビクターは資本を撤収,1943年日本音響と改称,1945年現社名に変更。1954年松下電器産業の傘下に入る。1958年日本初のステレオレコードを開発。その後はカラーテレビなどの新製品を次々と開発し,1960年代以降は輸出も本格化した。1976年家庭用 VHSビデオデッキを発売し,この分野で業界大手に成長。子会社を通じて映像・音楽ソフトウェアも手がける。2007年松下電器産業の傘下を離れてケンウッドと業務提携したのち,2008年に経営統合を実施。共同持株会社 JVC・ケンウッド・ホールディングスを設立して子会社となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「日本ビクター」の解説

日本ビクター

正式社名「日本ビクター株式会社」。英文社名「Victor Company of Japan, Limited」。電気機器製造業。昭和2年(1927)「日本ビクター蓄音器株式会社」設立。同18年(1943)「日本音響株式会社」に改称。同20年(1945)「日本ビクター株式会社」に社名変更。本社は横浜市神奈川区守屋町。映像・音響機器メーカー。電子部品や音楽・映像ソフトも手がける。東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部旧上場。平成20年(2008)ケンウッドと経営統合し、共同持株会社「JVC・ケンウッド・ホールディングス株式会社」(現JVCケンウッド)を設立。同社による完全子会社化にともない上場廃止。同23年(2011)親会社吸収合併。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日本ビクターの言及

【音響機器工業】より

…こうした背景のもとでステレオが商品化され,その後の高度成長の波に乗って音響機器の生産が台数,金額ともに著しく増加しはじめたのである。60年代半ばまでは日本コロムビア,日本ビクターといった伝統を誇るメーカーや松下電器産業,東京芝浦電気(現,東芝)などの総合家電メーカーが業界をリードしていた。つづく60年代後半から70年代前半には,回路技術で先発大企業に差をつけたトリオ(現,ケンウッド),山水電気,パイオニア,あるいは赤井電機やティアック(この2社はおもにテープデッキ)といったオーディオ(音響)機器専業メーカーが先発の大企業を抑えてそのシェアを拡大した。…

※「日本ビクター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android