改訂新版 世界大百科事典 「日珖」の意味・わかりやすい解説
日珖 (にっこう)
生没年:1532-98(天文1-慶長3)
近世初期の日蓮宗の僧。堺妙国寺の開山。仏心院と号する。堺の豪商で有名な茶人だった油屋の伊達常言の子。初め堺の長源寺の日沾(につてん)の門に入り,長じて諸方を遍歴し,園城寺勧学院の宥尊や比叡山の尊契に天台を,卜部兼右に神道を学んで,学識と徳行は若くして宗門内外に高く,1555年(弘治1)京都日蓮宗16本山の一つ頂妙寺3世住持となった。以後,河内高屋城主三好実休ら三好一族,堺や京都の上層町衆らに多くの帰依者をもった。75年(天正3)の阿波宗論で浄土宗と真言宗を論破するなど,その前半生は強義折伏(ごうぎしやくぶく)をもって日蓮宗の宗勢を関西で大いに伸ばした。だが,79年織田信長の命による安土宗論で信長から無法な敗論宣告を受け,以後,織豊政権の権力の実態を見きわめ,他宗に寛容な摂受(しようじゆ)主義へと,その指導下の関西日蓮宗を導いていった。著書に《己行記》《安土問答記》などがある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報