法華経寺(読み)ホケキョウジ

デジタル大辞泉 「法華経寺」の意味・読み・例文・類語

ほけきょう‐じ〔ホケキヤウ‐〕【法華経寺】

千葉県市川市にある日蓮宗の寺。もと日蓮宗四大本山の一。山号は、正中山。文応元年(1260)富木とき常忍(日常)が自邸を寺とした法華寺に始まる。日蓮自筆の立正安国論観心本尊抄(ともに国宝)を所蔵する。

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精選版 日本国語大辞典 「法華経寺」の意味・読み・例文・類語

ほけきょう‐じホケキャウ‥【法華経寺】

  1. 千葉県市川市中山にある日蓮宗の寺。同宗五本山の一つ。山号は正中山。文応元年(一二六〇)富木(とき)常忍(日常)の創建。中山門流大本山として発展。所蔵する日蓮筆「観心本尊抄」「立正安国論」は国宝。寺内の遠寿院は祈祷荒行堂として知られる。

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日本歴史地名大系 「法華経寺」の解説

法華経寺
ほけきようじ

[現在地名]市川市中山二丁目

下総台地が南に向かって開く開析谷の最奥部にある。正中山と号し、日蓮宗大本山で、中山門流の中心寺院である。本尊は釈迦如来・多宝如来・日蓮聖人像。日蓮の檀越富木常忍(日常)が出家して邸を寺とした法華寺と、同じく日蓮に帰依した大田乗明(妙日、左衛門尉・金吾)の邸跡に建てられた本妙ほんみよう寺は当初両寺一主制をとっていたが、のちに合体して一ヵ寺となり、当寺が成立した。一般には中山法華経寺とよばれ、また中山の鬼子母神の名でも知られる。中山なかやま二丁目の現寺地は本妙寺のそれを継承し、若宮わかみや二丁目の法華寺旧寺地は現在奥之院となっている。

〔創建の経緯〕

鎌倉時代、当地や市川を含む一帯は八幡やわた庄のうちで、同庄は下総国衙に隣接し、守護千葉氏の守護所が置かれていた。当寺の開祖日常は守護所に出仕する千葉氏の事務官僚で、祖師日蓮の熱心な信者・檀越でもあった。富木常忍をはじめとして鎌倉時代中期の市川周辺には大田氏・曾谷氏など日蓮面授の信者がおり、活発な信仰活動を行っていた。富木氏は因幡国法美ほうみ富木とき(罵城郷、現鳥取県国府町)を本貫とし、常忍の父蓮忍の代に同郷から移住してきた(「常忍訴状」双紙要文紙背文書など)。下総に移ってからは八幡庄若宮わかみやに居館を構えていた。日蓮と常忍の関係は建長五年(一二五三)頃に鎌倉で始まったとされる。文応元年(一二六〇)七月「立正安国論」を北条時頼に呈上したが顧みられず、翌八月には鎌倉松葉まつばやつの草庵に火を放たれた日蓮が若宮の常忍のもとに身を寄せたのは同年九月のことであったと伝える(市川市史)。なお文永六年(一二六九)とされる六月七日の常忍宛日蓮消息(日蓮書簡抄)などによると、常忍は大師講を組織して宗教活動の場としていたと思われる。日蓮没後、常忍は僧侶となって日常と改め、自身の館の持仏堂を寺院に発展させ法華寺としている。

一方、法華寺とならび当寺の前身となった本妙寺は大田乗明の館から発展した。大田氏は富木氏よりは上層に位置した武士と考えられ、応永四年(一三九七)六月八日の日尊譲状(顕実寺文書)にみえる「八幡庄曾谷郷大田名」との関連が推則されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「法華経寺」の意味・わかりやすい解説

法華経寺 (ほけきょうじ)

千葉県市川市中山にある日蓮宗の大本山。山号は正中山。一般に中山法華経寺または中山の鬼子母神とも呼ばれている。当寺は,日蓮の檀越(だんおつ)の富木常忍(ときじようにん)(日常)が出家して,邸を寺とした法華寺と,同じく日蓮の帰依者である大田乗明(じようみよう)の邸跡に建てられた本妙寺とからなり,両寺一主制がとられていたが,戦国時代に合体して法華経寺となった。大寺院としての基礎を確立したのは南北朝期の初めで,千葉胤貞流一族の保護のもとに,3代の日祐(にちゆう)(1298-1374)が目覚ましい伝道活動を展開したことによる。南関東をはじめ東北,九州にまで教線を伸長させ,中山門流として日蓮宗の一翼を担う勢力を固めた。一時疲弊したが,徳川家康の意を受けた堺出身の日珖たちによって盛運に向かった。第2次大戦後,日蓮宗から独立して中山妙宗を号したが,やがて復帰して日蓮宗霊跡寺院として位置づけられている。境内の聖教殿(しようぎようでん)には,《立正安国論》《観心本尊抄》をはじめとする日蓮の真筆遺文77点が収められている。これらは量・質ともにすぐれ,国宝,重要文化財に指定されている。ほかにも古文書類が多く,とくに日蓮聖人要文集紙背文書は貴重である。これは下総国の守護のもとに集まった文書を日蓮が利用して仏書の要文をしたためたものである。このほかにも,五重塔法華堂四足門(以上重要文化財)などの伽藍や寺宝にすぐれたものが多く,日蓮宗ではもっとも文化財に恵まれた寺である。古くから木剣加持(ぼつけんかじ)による祈禱法が伝えられ,日蓮宗の加行所(けぎようしよ)が開設されて,宗門の祈禱僧を育成している。11月1日から2月10日までの100日にわたる,粗衣粗食と水行を行いながら祈禱の伝授を受ける修行は,荒行(あらぎよう)として広く知られている。祈禱の本尊として崇めるのが《法華経》を擁護する鬼子母神で,蓄財・子育てなどの現世利益の祈願がなされる。とくに鬼子母神堂が設けられ,毎月8の日には縁日の法要が催され,鬼形(きぎよう)の鬼子母神の開帳と祈禱でにぎわう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法華経寺」の意味・わかりやすい解説

法華経寺
ほけきょうじ

千葉県市川市中山にある日蓮(にちれん)宗の寺。正中山(しょうちゅうざん)と号する。本尊は大曼荼羅(だいまんだら)。日蓮宗五大本山の一つ。東京都池上(いけがみ)の本門寺と並んで関東の大本山である。下総(しもうさ)国守護千葉頼胤(よりたね)に仕える富木常忍(ときじょうにん)が、1282年(弘安5)日蓮が入滅すると自邸を寺として法華(ほっけ)寺と称し、自ら出家して名を日常(にちじょう)と改め、初代貫首(かんじゅ)となった。第2代貫首となった日高(にちこう)は中山にある太田乗明(じょうみょう)の館(やかた)跡に本妙寺を創建し、ここに住みながら法華寺の貫首を兼ねた。本妙・法華両山一主制はこのときに始まるが、両寺が一寺となって法華経寺となるのは1545年(天文14)のころらしい。第3代貫首日祐(にちゆう)以降、豪族千葉胤貞(たねさだ)の一族の外護(げご)に支えられて発展。日蓮作と伝えられる鬼子母神(きしもじん)像は子育ての守護神として信仰を集めている。所蔵の日蓮真筆『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』1巻、『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』1巻、春日山蒔絵(かすがやままきえ)箱は国宝。日蓮上人(しょうにん)自筆遺文(いぶん)56巻、五重塔、法華堂、四足門(しそくもん)、祖師堂絹本着色十六羅漢像は国重要文化財。

[田村晃祐]

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百科事典マイペディア 「法華経寺」の意味・わかりやすい解説

法華経寺【ほけきょうじ】

千葉県市川市中山にある日蓮宗大本山。1260年富木常忍(のち出家して日常)が邸内に法華堂を建て,日蓮を請じて講経したのに始まる。日蓮宗四大本山の一つとして栄え,足利氏,北条氏の帰依を受けた。中山の荒行として伝えられる祈祷(きとう)道場である。国宝の《立正安国論》《観心本尊抄》,重要文化財の釈迦多宝如来座像,法華堂など文化財多数。
→関連項目中山日蓮宗

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法華経寺」の意味・わかりやすい解説

法華経寺
ほけきょうじ

千葉県市川市中山にある日蓮宗四大本山の一つ。起源は文応1 (1260) 年に豪族の富木胤継が邸内に法華堂を建てて日蓮の講筵としたことによる。胤継は出家して日常と称し,堂を法華寺と号した。以来,足利,北条氏の保護を受けて繁栄。冬には行者が荒行を行う。日蓮の真筆 (国宝) を保存している。

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デジタル大辞泉プラス 「法華経寺」の解説

法華経寺

千葉県市川市にある寺院。日蓮宗。山号は正中山。1260年創建。国宝の「立正安国論」、観心本尊抄をはじめ、数多くの文化財を所蔵。日蓮作とされる鬼子母神像を収めた鬼子母神堂がある。

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事典・日本の観光資源 「法華経寺」の解説

法華経寺

(千葉県市川市)
日蓮宗四大本山」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の法華経寺の言及

【鬼子母神】より

…やがて,近世初頭から盛んになる日蓮宗修法の本尊として鬼子母神が定められ,しかも独特な忿怒形(ふんぬぎよう)の鬼形として造顕された。鬼形に総髪合掌形と有角抱児形があるが,中山法華経寺系の修法が中心になったため,総髪合掌形が広まった。さらに旧来の天女形も作られ,鬼形は破邪調伏,天女形は安産子育てとされた。…

※「法華経寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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