早川二郎(読み)はやかわじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「早川二郎」の意味・わかりやすい解説

早川二郎
はやかわじろう
(1906―1937)

昭和初期の唯物史観による歴史研究者、翻訳家。本名小出民声(こいでみんせい)。東京生まれ。1929年(昭和4)東京外国語学校露語部文科卒業。在学中より翻訳・出版にかかわり、のち『無産者教育』(佐野袈裟美(けさみ)主催)、プロレタリア科学研究所、唯物論研究会などに所属しつつ、ソビエト事情およびソビエト史学の翻訳・紹介を行う。33年アジア的生産様式論争に参加、ついで日本歴史の研究に入り、大化改新以後を国家的封建制とする説を主唱、渡部義通(わたなべよしみち)らと奴隷制論争を展開、また啓蒙(けいもう)的な通史叙述も行う。昭和12年11月8日、秩父(ちちぶ)山中将監(しょうげん)小屋にて遭難死。

[原秀三郎]

『『早川二郎著作集』全四巻(1978~85・未来社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「早川二郎」の解説

早川 二郎
ハヤカワ ジロウ

昭和期の歴史家,社会運動家



生年
明治39(1906)年1月26日

没年
昭和12(1937)年11月8日

出生地
東京府西多摩郡吉野村(現・東京都青梅市)

本名
小出 民声

学歴〔年〕
東京外国語学校(現・東京外国語大学)露語部〔昭和4年〕卒

経歴
昭和5年プロレタリア科学研究所に加盟。7年唯物論研究会に入会し、10年幹事となる。同年ソビエト商務館員の日本語教師を務める。「唯物史観世界史教程」などソビエト歴史学文献の翻訳の傍ら、日本歴史・文化史の研究に従事新進の歴史家として重きをなした。著書に「古代社会史」「日本歴史読本」「日本古代史の研究」、「早川二郎著作集」(全4巻 未来社)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川二郎」の解説

早川二郎 はやかわ-じろう

1906-1937 昭和時代前期の歴史学者。
明治39年1月26日生まれ。プロレタリア科学研究所,唯物論研究会にはいり,ソ連事情,ソ連史学の翻訳・紹介をおこなう。のち日本古代史などを研究。昭和12年11月8日奥秩父登山中,遭難死。32歳。東京出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。本名は小出民声(こいで-みんせい)。著作に「日本歴史読本」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「早川二郎」の解説

早川 二郎 (はやかわ じろう)

生年月日:1906年1月26日
昭和時代の歴史学者;翻訳家。唯物論研究会幹事
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android