早川幸男(読み)はやかわさちお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「早川幸男」の意味・わかりやすい解説

早川幸男
はやかわさちお
(1923―1992)

宇宙物理学者、素粒子物理学者。愛媛県新居浜(にいはま)市に生まれる。1945年(昭和20)東京大学理学部物理学科を卒業。中央気象台気象研究所などを経て、1949年に大阪市立大学の講師となり翌年助教授。1951年にマサチューセッツ工科大学招待教授、1954年より京都大学基礎物理学研究所教授、1959年名古屋大学理学部教授となり、1987年名古屋大学学長に就任したが、1992年(平成4)2月5日在職のまま死去した。1991年日本学士院賞受賞。

 東京大学で朝永振一郎(ともながしんいちろう)の指導のもとで素粒子・宇宙線の研究を始めた。宇宙線の研究では、軽元素の存在比などから、宇宙線の起源超新星と想定している。また、天文物理学の新しい分野であるX線天文学に注目、とくに観測的研究を重視し、X線観測衛星はくちょう」の打上げに貢献した。その後も宇宙空間(スペース)天文学の研究に取り組み、重力波の検証にも意欲をもっていた。日本天文学会理事長を務め、死後、1993年に同学会において早川幸男基金が設立されている。

[編集部 2023年4月20日]

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20世紀日本人名事典 「早川幸男」の解説

早川 幸男
ハヤカワ サチオ

昭和・平成期の宇宙物理学者 名古屋大学学長;日本天文学会理事長。



生年
大正12(1923)年10月16日

没年
平成4(1992)年2月5日

出生地
愛媛県新居浜市

学歴〔年〕
東京帝国大学理学部物理学科〔昭和20年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔昭和26年〕

主な受賞名〔年〕
朝日文化賞(第44回)〔昭和49年〕,中日文化賞(第20回)〔昭和42年〕「X線天文学の研究」,マルセル・グロスマン賞,RoyalAstronomical Society Associate Member,紫綬褒章〔昭和61年〕,日本学士院賞〔平成3年〕

経歴
昭和25〜26年米国コーネル大学研究員、26年米国M.I.T.招待教授、31年米国シカゴ大学特別招待教授、西独マックス・プランク宇宙空間研究所研究員、31〜32年米国コーネル大学、M.I.T.研究員。45年気象研究所員、49年大阪市立大学講師、50年同助教授、54年京都大学教授、59年名古屋大学教授。62年4月名誉教授となり、6月学長に就任。また日本学術会議会員、文部省学術審議会委員、原子力委員会核融合会議委員など歴任。平成4年没後、遺族により遺産一部が日本天文学会に寄付され、同学会に早川幸男基金が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川幸男」の解説

早川幸男 はやかわ-さちお

1923-1992 昭和後期-平成時代の宇宙物理学者。
大正12年10月16日生まれ。東京帝大在学中,朝永(ともなが)振一郎の指導をうける。大阪市立大助教授,京大教授をへて,昭和34年名大教授,62年学長。宇宙線理論,X線天文学などの基礎をきずいた。平成3年学士院賞。平成4年2月5日死去。68歳。愛媛県出身。著作に「Cosmic Ray Physics(宇宙線物理学)」「宇宙線」。

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367日誕生日大事典 「早川幸男」の解説

早川 幸男 (はやかわ さちお)

生年月日:1923年10月16日
昭和時代;平成時代の宇宙物理学者。名古屋大学学長;日本天文学会理事長
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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