理論物理学者。哲学者朝永三十郎の長男として東京に生まれる。1929年(昭和4)京都帝国大学理学部を卒業、1932年理化学研究所研究員となり、1937~1939年ドイツに留学、ライプツィヒ大学のハイゼンベルクのもとで理論物理学を研究した。1941年東京文理科大学(後の東京教育大学)教授となり、1956~1962年(昭和31~37)東京教育大学学長などを歴任し、また日本学術会議会員を3期務め、うち2期は会長に選出された。1965年、量子電気力学の基礎研究により、J・シュウィンガー、R・P・ファインマンとともにノーベル物理学賞を受けた。専門は理論物理学、とくに素粒子論であるが、科学行政、科学者の平和運動などでも重要な役割を果たした。
理論物理学における研究は、素粒子論のほか、原子核の基礎的性質、宇宙線中の中間子の多重発生、量子力学的多体問題など多方面にわたっている。とくに、第二次世界大戦中、当時までの場の量子論が、内容的には相対性理論の要求を満たしていながら、その形式がその要求を明確には満たしていない欠陥を改良するために、空間の各点ごとに異なる時間を考える超多時間形式を考え、これによって、場の量子論は、内容・形式ともに相対性理論の要求を満たしていることがはっきりするようになった。また同じく戦時中に、極超短波磁電管の理論をつくりあげ、この研究によって1948年に学士院賞を受けた。
戦後、場の量子論に現れる無限大量を研究し、超多時間理論によってそれらの性格を明らかにし、それが、質量・荷電などの観測される値に含まれるべきものであることを示した。この「くりこみ理論」によって量子電気力学と実験との驚くべき一致が明らかにされた。
飄々(ひょうひょう)たる風格と民主的な人柄で、研究者の意向を集約する中心となり、東京大学原子核研究所の設立、筑波(つくば)の高エネルギー物理学研究所(現、高エネルギー加速器研究機構)の設立準備などに指導的役割を果たした。また、科学者の社会的責任や、物理学とは何であるかなどについて深く考え、1957年第1回パグウォッシュ会議に出席、以後、科学者京都会議の開催に尽力し、また世界平和アピール七人委員会に加わるなど、科学者の平和運動に力を注いだ。公職を退いてからは、量子力学および場の量子論の成立と発展、日本における物理学の成立、とくに量子力学の渡来と素粒子論の発展を歴史的に跡づけ、それらは論文、講演、エッセイなどの形で発表されている。
[町田 茂]
『『朝永振一郎著作集』全12巻別巻3(1981~1985/新装版・2001~2002・みすず書房)』
昭和期の物理学者 東京教育大学名誉教授;日本学術会議会長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
理論物理学者。東京の生れ。父は哲学者朝永三十郎。1929年京都大学理学部を卒業,31年仁科芳雄の京大出張講義聴講のおり認められ,翌年理化学研究所に新設早々の仁科研究室に入った。その年,中性子および陽電子の発見,翌々年,人工放射能の発見と画期的大発見が相次ぎ,原子物理学の新たな躍進が始まったとき,朝永は仁科を助け,後輩たちを指導して,欧米の第一級の学者に伍して数々の理論的研究を成し遂げた。37年日独交換研究生としてライプチヒ大学のW.K.ハイゼンベルクのもとで原子核理論の研究に従事,39年第2次世界大戦勃発にあい引揚船で帰国した。41年東京文理科大学教授となり,中間子論および超多時間理論を研究し,戦時下も刊行されていた理化学研究所の和文報告に発表した。この超多時間理論は,場の量子論の相対論的定式化を完成したものであり,彼が47年に発表し,のちに65年ノーベル物理学賞を受けることになったくりこみ理論は,この定式化を利用して展開された。戦時中彼はまたマグネトロンの発振機構をみごとに解明した。1951年,仁科の没後,その後任として日本学術会議原子核研究連絡委員長になり,さらに1963-69年には日本学術会議会長として,基礎科学の研究環境の向上に寄与した。著書として《量子力学》《朝永振一郎著作集》などがある。
執筆者:玉木 英彦
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1906.3.31~79.7.8
昭和期の物理学者。東京都出身。京大卒。湯川秀樹の中間子論について共同研究を行う。ドイツ留学後,東京文理科大学教授・東京教育大学学長。第2次大戦後くりこみ理論を発表し,プリンストン高等研究所に入る。1965年(昭和40)ノーベル物理学賞受賞。日本学術会議原子核特別委員会委員長。パグウォッシュ会議や科学者京都会議に参加。原水爆禁止や原子力平和利用のために活動。学士院賞・文化勲章・朝日文化賞をうける。著書「量子力学」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…場の量子論で,例えば電荷や電子の質量を求める場合,高次の補正を行うとその値が無限大となってしまう。これを発散の困難divergence difficultyといい,発散の困難を防ぐために,第2次世界大戦後まもなく,朝永振一郎,R.ファインマン,J.シェウィンガーによって独立に考案された処法をくりこみ理論という。古典論においてもすでに点電荷としての電子が自分自身に及ぼす力が無限大になってしまうという発散の困難に直面していたが,この困難は本質的な解決をみることなく物理学は量子力学の形成,さらに相対論的量子論の建設へと進んだ。…
…場の理論を相対論的に表現するための手法。朝永振一郎によって1943年に提出され,J.シュウィンガーによっても独立に拡張されたので朝永=シュウィンガーの理論ともいう。粒子の相対速度が光速cに比べて遅い場合(例えばふつうの原子中の電子の核に対する速度はc×10-5)には,量子力学は非相対論的なシュレーディンガー方程式で十分よく記述される。…
… このころの場の理論は時間を特別扱いにし,相対論的不変性が明らかでなかった。第2次世界大戦中朝永振一郎は超多時間理論により相対論的不変性が明りょうな場の理論を建設した。これを用いて戦後まもなく彼のグループは電子と光子の相互作用を扱う量子電磁力学を展開した。…
※「朝永振一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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