春風亭 柳昇(読み)シュンプウテイ リュウショウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「春風亭 柳昇」の解説

春風亭 柳昇
シュンプウテイ リュウショウ


職業
落語家

肩書
落語芸術協会理事長,ゆうもあ・くらぶ理事長

本名
秋本 安雄(アキモト ヤスオ)

別名
筆名=林 鳴平

生年月日
大正9年 10月18日

出生地
東京都 武蔵野市

学歴
横河電機青年学校卒

経歴
農家の長男に生まれ、尋常小学校卒業後、電気会社に奉公に出る。昭和16年応召、20年上海沖で米軍機の機銃掃射を受け、両手に戦傷を負う。同年復員。21年暮れ、戦友の父だった6代目春風亭柳橋に入門、柳之助を名乗る。24年二ツ目となり柳昇を襲名。33年真打ちに昇進。両手の戦傷から扇子などが自由に扱えないため新作落語に活路を求め、林鳴平の筆名で「ガード下」「課長の犬」「免許証」「結婚式風景」「里帰り」「カラオケ病院」など100作近くの新作落語を発表。「大きなことを言うようですが、いまや春風亭柳昇と言えばわが国では私ひとりでありまして」という名文句に代表されるとぼけた芸風で幅広い年代から親しまれた。ラジオ「落語討論会」、テレビ「お笑いタッグマッチ」「笑いがいちばん」など多くの番組出演。また戦争体験を綴った「与太郎戦記」はベストセラーとなり、フランキー堺主演で映画化された。昔々亭桃太郎春風亭昇太など数多くの弟子を育てたことでも知られる。他の著書に「陸軍落語兵」「ボクおとなに負けないぞ」「人に好かれる話し方」「寄席は毎日休みなし」などがある。

受賞
勲四等瑞宝章〔平成2年〕 芸術祭奨励賞〔昭和38年〕,芸術祭優秀賞〔昭和57年〕

没年月日
平成15年 6月16日 (2003年)

伝記
落語大看板列伝―枝雀・文治・柳昇・馬生・小さん師匠噺与太郎戦記―ああ落語家兵士、生と死の泣き笑い陸軍落語兵―涙と笑いの続与太郎戦記円右のなんともかとも艶噺(つやばなし)与太郎高座―柳昇の戦後日記 落語ファン倶楽部 編浜 美雪 著春風亭 柳昇 著春風亭 柳昇 著三遊亭 円右 著春風亭 柳昇 著(発行元 白夜書房河出書房新社立風書房立風書房三樹書房日本テレビ放送網 ’09’07’87’87’87’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「春風亭 柳昇」の解説

春風亭 柳昇
シュンプウテイ リュウショウ

昭和・平成期の落語家 落語芸術協会理事長;ゆうもあ・くらぶ理事長;日本演芸家連合会長;芸団協理事。



生年
大正9(1920)年10月18日

没年
平成15(2003)年6月16日

出生地
東京都武蔵野市

本名
秋本 安雄(アキモト ヤスオ)

別名
筆名=林 鳴平

学歴〔年〕
横河電機青年学校卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和38年〕,芸術祭優秀賞〔昭和57年〕,勲四等瑞宝章〔平成2年〕

経歴
農家の長男に生まれ、尋常小学校卒業後、電気会社に奉公に出る。昭和16年応召、20年上海沖で米軍機の機銃掃射を受け、両手に戦傷を負う。同年復員。21年暮れ、戦友の父だった6代目春風亭柳橋に入門、柳之助を名乗る。24年二ツ目となり柳昇を襲名。33年真打ちに昇進。両手の戦傷から扇子などが自由に扱えないため新作落語に活路を求め、林鳴平の筆名で「ガード下」「課長の犬」「免許証」「結婚式風景」「里帰り」「カラオケ病院」など100作近くの新作落語を発表。「大きなことを言うようですが、いまや春風亭柳昇と言えばわが国では私ひとりでありまして」という名文句に代表されるとぼけた芸風で幅広い年代から親しまれた。ラジオ「落語討論会」、テレビ「お笑いタッグマッチ」「笑いがいちばん」など多くの番組に出演。また戦争体験を綴った「与太郎戦記」はベストセラーとなり、フランキー堺の主演で映画化された。昔々亭桃太郎、春風亭昇太など数多くの弟子を育てたことでも知られる。他の著書に「陸軍落語兵」「ボクおとなに負けないぞ」「人に好かれる話し方」「寄席は毎日休みなし」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報