目次 笑いの起源 文化現象としての笑い 日本の民俗における笑い 西洋における笑いの諸相 日本の文学と芸能における笑い 人間における感情表出の一つ。日本語における笑いにはさまざまなニュアンス が含まれており,その違いは,たとえば〈微笑〉〈苦笑〉〈冷笑〉〈大笑〉〈嬌笑〉〈哄笑〉といったごとく形容詞を頭につけることによって表される。これに対して英語では,声をたてるかたてないかをおおまかな基準としてlaugh (笑い)とsmile (ほほ笑み)の区別がある。上の例でいえば,前3者はsmile,後3者はlaughの範疇に入る。
笑いの起源 動物に笑いを認めるかどうかは議論の分かれるところであるが,ヒト以外の動物では,表情筋が発達していないという解剖学上の理由もあって,はっきり人間の笑いと同一視できるものはない。しかし,少なくとも笑いの原形とみなしうるような表情が高等動物,ことにイヌやサル類にみられる。動物行動学者ファン・フーフJ.A.R.A.M.van Hooffは,人間の笑いのうちのsmileとlaughが別の起源をもつと主張している(1972)。すなわちsmileは高等霊長類の劣位の表情に,laughは威嚇の表情に由来するというのである。劣位の表情は逃走の際,それも退路を断たれたようなときによくみられるもので,耳を倒し,〈キーキー〉といった声を出すか,あるいは沈黙したまま唇を引いて歯をむきだす。これは服従ないし防衛,つまり敵対心の放棄の意味をもち,転じてチンパンジー では親愛の信号としても用いられる。人間の〈ほほ笑み〉が親愛の意思表示としてだけでなく,強者に対する〈へつらい〉や〈おべっか〉という文脈で用いられることとよく符合する。これに対して威嚇の表情は追撃の際などにみられるもので,大きく口を開き,しばしば〈オー〉とか〈アー〉とかいう発声を伴う。この表情には攻撃的・優越的な意味合いが明白であるが,転じてチンパンジーでは,〈陽気〉な気分の表出として遊びの信号としても用いられる。大声を伴う人間の〈笑い〉がしばしば攻撃的な文脈でみられることとよく符合する。実際にサンでは〈笑い〉は悪態 と並んで,攻撃衝動の発散に重要な役割を果たしている。 執筆者:森 三男
文化現象としての笑い 人間の笑いは,生後に学習するのではなく,生まれつき備わった能力によるのであり,目が見えず耳も聞こえない幼児でも,母親がくすぐってやると笑顔が現れる。新生児が生まれてまもなくから,ミルクを飲んだあと目を閉じてまどろんでいるときなどに笑顔をみせることは昔から知られ〈神様がくすぐるのだ〉などという言い方がされてきた。また,3ヵ月くらいになるとだれかが顔を近づけたり面を近づけると,笑うようになる。これは3ヵ月微笑と呼ばれ,対人関係のための自発的な笑いとして,幼児の正常な心身の発育の指標とされる。ただし発現の遅速の個体差はかなりの幅がある。3ヵ月微笑は,捨子の養育院などで世話された母親をもたない新生児では,発現がひどく遅れたり観察されなかったりすることが知られている。発育が正常であれば8ヵ月では人見知りによる不安を示すようになる。また特定の愛情対象に対する笑顔が明瞭になる。こうして発現する新生児の笑いは,単に新生児の発育の指標であるばかりでなく,母親や保育に当たる人にとっても重要である。母親は新生児の笑顔,とくに自分に向けられた笑いによって育児の苦労をいやされる面がある。乳幼児のきげんのよい笑いは,単に保育の場で効果があるだけでなく,周りの成人たちの積極的な関心をひくばかりか,その場の雰囲気を明るくなごやかにする。したがって笑いは一般的に,自発的積極的な対人関係の開発や連帯の維持の基礎の一つとして発現してくるといえる。言い換えれば精神の生理的基礎の一つである。
笑いは,成人においてどのように複雑微妙な発現形式をとっても,人間関係のなかで最も頻繁に採用される感情表出の一つである。怒り,威圧,屈服,要求などの対人関係の危機的場面においても,なお関係を維持したいという表現のためには笑いが加えられる。決然として対人関係を破局に導くことは,怒り,要求などのあからさまな感情表出の結果でもあり,そこには一種の割り切れた爽快さもありうるが,それをそこなうかわりに,そこに加えた笑いは関係を維持する意思表示となりうる。反面,本人がほんとうにおかしく思っている笑いや,成功の会心の笑いなど,本来そのまま笑ってよいはずの場合でも,居合わせる人への配慮から,抑えた笑いになることもある。笑いはこうして,成人の間では対人関係における文化現象としての笑いという性質を獲得する。これは学習の結果であり,生育環境や気質によって現される複雑な感情表出である。それゆえ文化現象としての笑いは,時,所,場合によって適切な笑いがあり,成人,老人といった年齢により,また,男らしさ女らしさの笑いがある。社会的地位や職業によっても,それらしい笑いの型のあることは俳優の演技によって知られる。人間はみずから笑うだけでなく,他人の笑いを学習する。必ずしも意識的にではなく,むしろ共感による同一化によって習得するのである。したがって笑いは文化集団によって,また同じ文化集団でも時代によって,異なる様式をもつことは他の文化現象と同様である。日本でも,男子は人に歯を見せて笑うものではないと教育した時代があった。ポリネシア文化 のトンガ王国 では,人は朗らかに笑うのがよいとされ,全身で笑っているような例がふつうにみられる。アフリカ のサバンナでの遊民生活の人々では,ふだんの顔つきはむしろきびしく,笑いには明快さとでもいえる雰囲気を感じる。また,人を笑わせる職業を含んでいる文化は多く,なかでもトリックスター には社会の中で特殊な地位が与えられるのがふつうであり,人間における笑いの意味は深い。 執筆者:藤岡 喜愛
日本の民俗における笑い 日本の民俗儀礼の中には,胞衣(えな)を埋めるときに3度笑うエナワライ,猟師の成年式にあたるサケフリマイ,さらに婚礼での出家式の際の笑いや小正月の火祭(オンベ笑い,サイゾウワライ),田植後のサナブリのほか,各地の笑い祭,悪態祭,山の神祭などに儀礼的な笑いをみることができる。これらの笑いには,古い死すべきものを笑いとばして,新しいもの生成すべきものを出現させるという機能をみることができる。〈来年のことを言うと鬼が笑う〉とか〈笑う門には福きたる〉ということわざにもそれがうかがえ,伊勢・志摩地方では正月のしめ飾に〈笑門〉の文字を書く風もある。笑いは逆転やさかしま のイメージと結びつき,公的なもの,権威あるものを一瞬のうちに破壊しひっくり返すところから,年や季節の変り目といった時間のはざまや人生の節目には笑い祭などの笑いの儀礼が行われるのである。こうした笑いは,古く記紀の天の岩戸神話にもみられる。この神話では,天鈿女命 (あめのうずめのみこと)の神憑り(かみがかり)による卑猥な踊りに八百万の神々がどっと哄笑すると,岩戸に隠れていた太陽神の天照大神 が再び姿を現したと語られており,笑いを契機に冬から春へ,夜から昼へ,さらに太陽の更新といった転換がなされている。
笑うのは人間だけであり,笑いは徹頭徹尾生の世界に結びつき,生を創出させるものでもある。したがって,生の世界であるこの世とは異なった死の世界(冥界)では笑いは禁じられている。このことは〈猿地蔵〉のような昔話で,隣の爺が笑いのタブーを犯したためにひどいしうちを受けると語られていることをみてもわかる。笑いの禁止のテーマは広く世界各地の神話や昔話の中にもみられる。また,日本には初物を食べるときには大声で笑って食べるという風習をもつ地方もある。これは初物という神のもの,未知のものを,笑いによって人間のものへ,食べることができるものへと変えるのである。笑いは結びつきそうもない対立するものが急激に衝突したときにも発生する。その典型は生と死の同居であり,〈絵姿女房〉譚の中にははらみ女が真っ二つ に切られたのを見て笑わぬ姫が笑ったという筋の話がある。笑いは,生と死という転換のプロセス だけでなく,その両極をも含んだ包括的で両義的なものといえるのである。グロテスクな笑いはカーニバル の中に頻出する。この笑いは,日本の民俗や民話の中にもゆるめられた形ではあるがみることができ,笑いは生から死へといった連続から不連続へ移る際に発せられている。 →嗚呼 (おこ) →笑話 (しょうわ ) →笑い話 執筆者:飯島 吉晴
西洋における笑いの諸相 人はなぜ笑うのか。〈笑いとは何か〉の問題はヨーロッパ において,古代ギリシアの昔から論じられてきた。プラトン はすでに《フィレボス》の中で,笑いがたいてい の場合,他人の犠牲のもとに生じるものであることを語り,笑いにおける〈悪意ある性格〉を指摘している。これは笑いの一面,それもとりわけ重要な一面を言い当てているだろう。笑いの定義のうち,ホッブズが《人間論》(1658)に述べているところがとくに有名である。ホッブズによると笑いとは〈他人の弱点,あるいは以前の自分自身の弱点に対して,自分の中に不意に優越感を覚えたときに生じる突然の勝利〉を表すものだというのだが,この〈笑い=優越感=勝利の表現〉という考え方は,永らくヨーロッパの人が笑いを考える際の定式となってきた。例えばベルグソン の《笑い》(1900)には,ホッブズの名前は一度も言及されていない。しかし笑いを究明するにあたってベルグソンが立てた〈生きものの上にはりつけられた機械的なもの〉というテーゼに,ホッブズ的笑いの定式を読みとるのはさほど困難ではない。S.フロイト は潜在意識にさぐりを入れて,《機知--その無意識との関係》(1905)の中で,〈制約されていた衝動が突然満たされたときに生じる心的状態〉に笑いの発生をみているが,そこにも明らかにホッブズ流の〈笑い=勝利の表現〉という見方がみてとれる。劇作家M.パニョル が《笑いについて》(1947)で語っているところも同様である。笑いという〈この世で最も複雑な人間表現〉を定義してパニョルはこう述べている。〈笑いは勝利の歌である。それは笑われる人に対して笑い手のうちに突然見いだされた優越感の表現である〉。この点,笑いを語った著名な文献の中で,ボードレール の《笑いの本質》(1855。のち《審美渉猟》に収録)は異色のものだろう。詩人であるとともに卓抜な美術批評家であったボードレールは,ゴヤやカロやドーミエの風刺画を通して,グロテスクな笑いや悪魔的な笑いといった,すこぶる20世紀的な笑いの分野をいち早く的確にとらえている。
ホッブズ的笑いの定義の背後には,ホッブズが生きた17世紀ヨーロッパがあった。身分制社会の中で,階級的ルールやエチケット が支配する宮廷やサロンや社交界であり,そこでは〈笑いもの〉になることが命とりにもなりかねなかった。すなわち笑いが社会的制裁としての役割を果たしていた。ホッブズと同時代に生きたフランスの文人ラ・ロシュフーコーがアフォリズム の一つに記している。〈滑稽は不名誉よりも人の名誉をそこなう〉。ベルグソンの場合にも,その《笑い》が書かれた1890年代の終りという時代性を考えなくてはならないだろう。ベルグソンは肉体と精神の両面にわたって,本来しなやかであるべきところに入りこむ機械のような〈こわばり〉や硬直を問題にした。その〈こわばり〉や硬直は,至るところに〈機械化〉が始まった時代に特有の現象であり,19世紀的科学信仰の成果と切っても切れない関係にある。ベルグソンの笑いの理論は大衆娯楽や無声映画の登場を背景としている(チャップリン における笑いの方法を語るのにうってつけなのはそのせいである)。つまり,笑いそれ自体と同様に笑いの理論化にも時代性が無視できない。
社会的制裁としての役割に限らず,笑いは有効な批評の機能を備えている。中世ヨーロッパの笑話や笑劇や謝肉祭劇や阿呆文学はしばしば,おかしみや滑稽を通して,教会のドグマや身分制社会のひずみや人間性そのものに鋭い疑問を投げかけてきた。笑いは中世的なモラルや処世の秘訣を教えるための楽しい手段である一方で,性的なことも含め,世の中のさまざまなタブーに挑戦する機会を与えた。笑いはつねにそれがもたらす解放感によって健全な人間精神のあかしであった。〈愚者の自由〉はまた民衆の声であった。
グリム童話 をはじめとしてヨーロッパの伝承話には,笑いを忘れた人間をテーマとする類話がある。生まれてこのかた一度も笑ったことのない人間がいて,それを笑わせた者が大きな幸を得る。〈笑わない人=病人〉だからであって,笑いに精神的な治療の力をみていたからだろう。ボッカッチョ の《デカメロン 》(1353)には,笑いに対するこのような考え方が生かされている。100の笑話の語り手はペストを逃れて田舎にやってきた人々である。心ふさぐ十分な理由があり,状況が危機的であるからこそ,それだけ切実に笑いが必要であった。状況とのコントラスト が笑いにとっていかに有効であるか。笑いの要素の色濃い文芸作品にひとしくみられる構造的な原理といえる。
16世紀の中世的な価値の崩壊から18世紀の近代社会の確立までの間に,ヨーロッパは3人の偉大な〈笑い人間〉を生み出している。ラブレーとセルバンテス とスウィフトである。ラブレーにとって笑いは〈人間の本性〉だった。《ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語 》全5巻(1532-64)には,ありとあらゆる笑いがあふれている。けた外れのスケールをもった主人公は,この世の古びたもの,固着したもの,窮屈なもの,笑うべき愚かしいもののいっさいを笑う。セルバンテスの《ドン・キホーテ 》においては,主人公の時代錯誤的な〈こわばり〉と同時に,従者サンチョ・パンサとの対比,無垢な心と世間的処世知とのコントラストが笑いをさそう。さらに主人公の笑うべき〈高貴な単純さ〉が時代の断層を映し出す鏡の役目を果たしている。スウィフトの場合,笑いと怒りという相反した感情表現が強引に結びつけられている。食糧問題を解決するため人間の赤ん坊の食用化を提案した風刺作品《おだやかな提案》(1729)にみるように,笑いという仮装の下に政治に対する手厳しい怒りが語られており,それはシニカルな笑いに,グロテスクな笑いに,悪魔的な笑いにまで高まるものであった。ラブレーもセルバンテスもスウィフトも,たえず笑いを通して賢と愚,正気と狂気,破壊と創造といった両義的な価値を問題にした。近代ヨーロッパの大きな過渡期は新しい笑いの生まれ出る過程でもあった。
ヨーロッパにはまた〈ノンセンス物〉と呼ばれる笑いの表現の伝統がある。風刺やパロディが社会批判の役割をもった攻撃性の強い笑いだとすれば,こちらは比喩や言葉遊びに基づいて〈おかしみ〉を楽しむ要素がより強い。その種の愉快な伝承歌謡〈マザーグース 〉をもつイギリスは,E.リアの《ノンセンスの絵本》(1846)やL.キャロルの《不思議の国のアリス》(1865。アリス物語 )といった代表作を生み出した。その反面でノンセンス物の発達は,すみずみまで市民モラルが支配していた19世紀ビクトリア朝イギリスにおける心的状態をも示している。人工的な言葉の操作による意味と無意味とのたわむれの中で,社会的な緊張から隔りをとり,つかの間の自由と解放を求めたわけで,笑いが心理的安全弁の役割を果たしていたといえるだろう。20世紀になってダダイストやシュルレアリストたちもノンセンスの笑いを愛用した。彼らの場合,その役割はより攻撃的であった。〈黒いユーモア〉と呼ばれる言葉や物体のコミカルな変形・変造を通して,市民モラルや時代の一般的な見方・考え方に挑発をしかけ,人々の意識に変革を及ぼそうとした。
第2次大戦以後のマス・メディアの急激な発達は,笑いの量とともに笑いの質を大きく変化させた。笑いは本来,威厳や体面をそこない,価値の下落をうながすものであって,だからこそ批判の一つの方法であり厳しい攻撃性を帯びていたのだが,マス・メディアから次々に送り出されてくる笑いは,もはやそのような機能をもちえない。今日の笑いは需要に基づいて供給される〈商品〉の性格が著しい。送り手と受け手の双方がたえず新しい笑いを求める一方で,その無害化とコピー性が進行しないではいないのである。現代の笑いは社会的制裁や批評機能としてよりも心理的安全弁の役割をもち,今後ますますその性格を強めていくだろう。この点,文学キャバレー(カバレット)と呼ばれ,ヨーロッパの都市に必ず備っていた批評性の強い笑いの場が姿を消すか,あるいは単なる娯楽の場に変化したのは象徴的である。現代の道化やトリックスターは,意味と無意味の間の微妙な世界でみずから楽しみ,人を楽しませるよりも,めまぐるしい瞬間をときほぐすべき〈とめどない笑い〉を強いられている。その種の管理された〈笑いもの〉がマス・メディアを徘徊している。このような傾向を,笑いの量的拡大による質的失墜とする見方は当然である。と同時に,長い歴史の中でさまざまな笑いのサンプルを生み出してきたヨーロッパもまた,新しい笑いへの過渡期にあるとみることもできる。意味と無意味との間のたわむれが意味をもつノンセンス詩や,意味をもたないテキストとしての小説や,廃品の組合せによる造形(ジャンク芸術)などが示しているように,笑いの意味と機能の転換が着々と進行している。 →道化 →トリックスター 執筆者:池内 紀
日本の文学と芸能における笑い 《古事記》の天の岩屋戸の段に,天宇受売(あめのうずめ)命が日影蔓(ひかげのかずら)をたすきにかけ,真拆蔓(まさきのかずら)を髪飾として,笹の葉を持ち,岩屋戸の前で〈うけ(桶のように空洞の容器)〉をドンドコと音を立てて踏み鳴らし,神がかりして〈胸乳(むなち)をかき出で裳緒(もひも)をほとにおしたれ〉るという所作をするところがあって,この所作を見た八百万(やおよろず)の神々はともにどっと笑ったとある。これは天宇受売の所作がおかしくて笑ったわけであるが,同時に,悪霊を追い払い,悪しき現状を変えようとする演出でもあった。これは物語としては,天照大神が岩屋戸に隠れて天地が暗黒になり,神々の計略で再び天照大神が出現し,光を回復するというものだが,同時にそれは鎮魂の祭式とこだまし合っており,天照大神の岩屋戸からの出現は,祭式的な再生であり更新でもあった。しかも,その更新は単なる生命の更新や社会的・宇宙的な秩序の回復を意味するのではなく,ひとつの試練を経て,高天原の至上神,天空に輝く太陽神として新たに誕生することであった。このように《古事記》の中の笑いは,物語のレベルと祭式的なレベルとが重なり合って多義的なものとなっている。この《古事記》の中にかいま見られる祭式的な笑いは,古代の多くの祭式の中でも現実に見られたと考えられるが,こういった流れの中から散楽,猿楽が現れる。平安時代の猿楽の様は《新猿楽記》や《明衡往来(雲州消息)》に見ることができる。
一方,文学としても笑いが目的となることもあって,古く《万葉集》巻十六などには笑いをさそう歌が多くみられる。たとえば大伴家持の〈瘦(や)せたる人を嗤咲(わら)ふ歌二首〉として〈石麿(いわまろ)にわれ物申す夏瘦に良しといふ物そ鰻取り食(め)せ〉〈瘦す瘦すも生けらばあらむをはたやはた鰻を取ると川に流るな〉などである。こういった滑稽な歌の伝統は,《古今集》になると〈雑〉の部に収められ,誹諧歌という名称が与えられる。《新古今集》になると,その歌は新たな芸術的高まりをみせるものの,この誹諧歌が十分に評価されず,笑いの伝統はむしろ短連歌などの分野に受け継がれ,やがて《誹諧連歌抄(犬筑波集)》などの誹諧の連歌が行われ,近世に入ると貞門俳諧,談林俳諧を経て,蕉門に至って笑いと芸術性が真に止揚されるに至る。
散文の世界では,平安時代に《竹取物語》があって,神話的な世界と密接にかかわる竹取の翁とかぐや姫の物語をパロディ化することによって,新しい〈物語〉というジャンルを作り上げた。その文体も,神話的言語を相対化する新しい言語意識によって息づいている。物語の祖と称されたゆえんであろう。その後,《伊勢物語》の世界のパロディのような《平中物語》も現れるが,笑いを文学の重要な要素として自覚したのが《今昔物語集》をはじめとする説話文学であった。《今昔物語集》巻二十八には〈おこばなし〉が収められ,《古今著聞集》では〈興言利口〉の部が立てられた。このような動きは,室町~戦国期になると,御伽衆(おとぎしゆう)の活躍などとあいまって,口頭でもさかんに行われていたらしいが,近世になると《曾呂利咄(そろりばなし)》などとして刊行され,中国の《笑府》などの影響もあってか,笑話集《昨日は今日の物語》《醒睡笑》なども現れる。これらの笑話(しようわ)はのちの落語の源流ともいわれている。
演劇では,笑いは中世の狂言に代表される。近世に入ると,笑いは歌舞伎の中に未分化な形で含まれているものの,近世の日本では,喜劇はジャンルとして成立することがなかったようである。 執筆者:山内 若亡