改訂新版 世界大百科事典 「智幽」の意味・わかりやすい解説
智幽 (ちゆう)
生没年:1666-1752(寛文6-宝暦2)
江戸前期の天台律僧。字は玄門,伊勢安濃津の出身。1679年(延宝7)13歳で伊勢国一乗寺順渉に仕え,翌年尾張観心院珍舞の下で剃髪。17歳のとき叡山にのぼり,西塔喜見院に住して天台を学び,84年(貞享1)妙立慈山の弟子となり,その寂後は安楽院(現,安楽律院)の霊空光謙に仕えた。霊空のあと1706年(宝永3)住持をつぎ,東叡山浄名律院ができると江戸城に謝意を言上し,日光山興雲律院が創建されると赴いて清規をつくった。末寺50余を擁して,安楽院流はおおいに発展した。安楽院では43年(寛保3)一年輪番制をしき式条を定め,永く後世の規範とした。妙立,霊空とともに安楽院の三大和尚と称せられる。
執筆者:村山 修一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報