暦算全書 (れきさんぜんしょ)
Lì suàn quán shū
中国,清朝を代表する暦算学者梅文鼎の全著をほぼ網羅したもので,1723年(雍正1)に出版された。《梅氏暦算全書》ともいう。29種,76巻より成る。梅文鼎の全集としては,少しく異同はあるが,孫の梅成(ばいこくせい)(1681-1763)が編集した《梅氏叢書輯要》がある。《暦算全書》は出版後まもなく日本に伝わり,改暦を志していた8代将軍徳川吉宗はこの書の解読を中根元圭に命じた。元圭が返り点,送り仮名を施した《暦算全書》は現在宮内庁に残っている。元圭は将軍に対し,改暦のためには広くヨーロッパ天文学の研究が必要であることを進言し,これが契機となって,江戸を中心とするオランダ語の学習がはじまった。
執筆者:藪内 清
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暦算全書
れきさんぜんしょ
中国、清(しん)朝初期の暦算学者梅文鼎(ばいぶんてい)の数学・暦学に関する80種に及ぶ著書のうち、29種76巻を集録して、1723年兼済堂で刊。文鼎は漢訳の暦算書を通じ西洋の暦算学に精通した。のちに孫の梅穀成(ばいこくせい)(1681―1763)は『暦算全書』を改編して、『梅氏叢書輯要(そうしょしゅうよう)』62巻を編集した。『暦算全書』は日本には1726年(享保11)に舶載し、8代将軍徳川吉宗(よしむね)はその訳述を数学者の建部賢弘(たけべかたひろ)に命じたが、建部の弟子の中根元圭(なかねげんけい)がこれに訓点送り仮名を付し、賢弘がこれに序を書いて上呈した。この書の伝来により本邦に三角法をはじめ西洋数学が広まり、日本の暦算学に大きく貢献をした。
[渡辺敏夫]
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暦算全書
れきさんぜんしょ
Li-suan quan-shu
中国の暦算書。清初の梅文鼎の撰。 75巻。暦学,数学に関する著述およそ 29種を集めたもの。原刊本の年次は不詳であるが,雍正1 (1723) 年に刊行された魏氏兼済堂本が広く流布された。日本にはこの兼済堂本が輸入され,将軍徳川吉宗の命を受けて中根元圭が訓点を施した和刻本がある。
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世界大百科事典(旧版)内の暦算全書の言及
【中国数学】より
…康熙帝の時代には清朝を代表する数学者梅文鼎が活躍し,伝統的な天文学・数学を研究するとともに,ヨーロッパのそれをよく消化した。彼の著書は1723年(雍正1)に《暦算全書》として刊行されたが,これには中国・西洋の暦算学がよく折衷されている。梅文鼎の著作は別に孫の梅成の手で1761年(乾隆26)に《梅氏叢書輯要》の名で刊行されているが,この中に〈杜氏の法〉というのがみえる。…
【梅文鼎】より
…早くから明の大統暦を学んだが,《[崇禎暦書]》を入手してから西洋の天文学・数学を研究し,中西の天文学を比較して《暦学疑問》を著した。また《[暦算全書]》(1723)は享保年間(1716‐36)に日本にもたらされ,球面三角法などを伝えた。孫の梅成(1681‐1763)は《律暦淵源》100巻の勅撰事業に力があった。…
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