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梅文鼎 ばいぶんていMei Wen-ting

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

梅文鼎
ばいぶんてい
Mei Wen-ting

[生]崇禎6(1633)
[没]康煕60(1721)
中国,清初の暦学者,数学者。宣城 (安徽省) の人。字は定九,号は勿庵。天文暦数の学に専念して生涯仕官せず,その研究はインド,イスラムの暦学から西洋の暦数にわたり,清代の暦学,数学の第一人者であった。また時の高官であった李光地のすすめで,『明史』の「暦志」の編纂に尽力した。著書は『梅氏叢書輯要』『暦算全書』など八十余種ある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梅文鼎 ばい-ぶんてい

1633-1721 清(しん)(中国)の暦学者。
天聡7年生まれ。天文学,数学の著書をおおくかく。著述の集大成である「暦算全書」は享保(きょうほう)11年(1726)日本に輸入され,13年中根元圭(げんけい)により訓点をほどこされた。これにより三角法や暦算が日本に紹介された。康煕60年死去。89歳。安徽(あんき)省出身。字(あざな)は定九。号は勿菴。著作に「暦学駢技(べんぎ)」「暦学疑問」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ばいぶんてい【梅文鼎 Méi Wén dǐng】

1633‐1721
中国,清代の天文学者,数学者。字は定九,号は勿庵。安徽省宣城の人。早くから明の大統暦を学んだが,《崇禎暦書》を入手してから西洋の天文学・数学を研究し,中西の天文学を比較して《暦学疑問》を著した。また《暦算全書》(1723)は享保年間(1716‐36)に日本にもたらされ,球面三角法などを伝えた。孫の梅成(1681‐1763)は《律暦淵源》100巻の勅撰事業に力があった。【橋本 敬造】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梅文鼎
ばいぶんてい
(1633―1721)

中国、清(しん)代の暦法学者。安徽(あんき/アンホイ)省宣城の人。字(あざな)は定九、勿菴と号した。早くから父と塾師の羅王賓(らおうひん)に天文学の手ほどきを受け、のちに同郷の倪正(げいせい)に師事し、1659年『暦学駢技(べんぎ)』4巻を著した。1666年郷試に応じた。1675年に初めて『崇禎(すうてい)暦書』を入手、以後は仕官せず、生涯、天文学、数学の研究に専心し、中国の古法を復活し、インド、イスラムの暦法や西洋の天文学を研究した。『暦学疑問』はその成果であり、康煕(こうき)帝に献じ、1705年の帝の南巡の際には暦学について帝と談論した。天文学者の梅文(ぶんたい)(1637―1671)は弟であり、文鼎の著作をまとめた『梅氏叢書輯要(ばいしそうしょしゅうよう)』を編集した梅(こくせい)(1681―1763)は孫で数学者である。梅文鼎が撰(せん)した数学・暦学に関する著述の集大成である『暦算全書』は、初刊本の刊行年は不明であるが、1723年刊行本が日本に輸入され(1726)、将軍徳川吉宗(よしむね)の命により、中根元圭(げんけい)(1662―1733)が訓点を施した。これにより三角法や筆算が日本に紹介された。[内田 謙]

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世界大百科事典内の梅文鼎の言及

【中国数学】より

…また康熙帝の末年に編集された《数理精蘊》にはヨーロッパの代数学が〈借根方〉の名で初めて紹介された。康熙帝の時代には清朝を代表する数学者梅文鼎が活躍し,伝統的な天文学・数学を研究するとともに,ヨーロッパのそれをよく消化した。彼の著書は1723年(雍正1)に《暦算全書》として刊行されたが,これには中国・西洋の暦算学がよく折衷されている。…

※「梅文鼎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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