最福寺跡(読み)さいふくじあと

日本歴史地名大系 「最福寺跡」の解説

最福寺跡
さいふくじあと

[現在地名]西京区松室地家町

松尾まつお山南麓を流れる西芳寺さいほうじ川の谷の入口、北岸にあった寺で、現存しない。俗に谷の堂ともいうが、これは西芳寺川下流域が中世たに郷とよばれたことに由縁すると思われる。天台宗寺門派。本尊阿弥陀如来。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

開山は現西京区御陵峰ごりようみねどうにあった法華山ほつけさん寺と同じく、三井寺(園城寺、現滋賀県大津市)の学僧延朗。「元亨釈書」によると、延朗は源義家四代の孫にあたり、幼時出家平治の乱の際には源氏縁者として追われたが、法華経の奇瑞によって難をのがれた。諸国を遍歴して放生と殺生禁断を勧め、盲目を癒し、死者を蘇生させるなどの霊験を現している。安元二年(一一七六)山城の松尾の地に最福寺を建立、この工事の際、古鏡を掘りあてた檀越の源康俊が延朗の予言どおり巨富を築いたという伝えがある。また源義経から寄進された丹波篠村しのむら荘を三年間年貢を免除、以後も一万回仏号を唱えた百姓には租一石を免じ、人も仏法もともに栄えたといわれる。延朗は承元二年(一二〇八)一月、七八歳で没した。

〔南北朝期〕

最福寺は延朗の死後伽藍を整備し、南北朝期には法華山寺と並び西岡にしのおか屈指の大刹で、「太平記」巻八に「彼谷堂ト申ハ、八幡殿ノ嫡男対馬守義親ガ嫡孫延朗上人造立ノ霊地、(中略)奇樹怪石ノ池上ニハ、都率内院ヲウツシテ、四十九院ノ楼閣ヲナラブ」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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