服部 伸
ハットリ シン
- 職業
- 講談師 浪曲師
- 本名
- 服部 辰次郎
- 別名
- 前名=浪花亭 駒子
- 生年月日
- 明治13年 6月2日
- 出生地
- 東京・浅草今戸(東京都台東区)
- 経歴
- 12歳で浪曲師浪花亭駒吉に入門、小吉と名乗り、18歳で真打ちとなり駒子と改名。明治末年から一心亭辰雄と称し、江戸前の威勢のよいせりふ、優れた時代感覚と品のよさで人気を博す。昭和10年55歳の時ノドを痛めて講談師に転向、作家長谷川伸から一字をもらって服部伸を芸名とした。浪花節時代に得意とした「は組小町」「関の弥太ッぺ」「一本刀土俵入」「大石東下り」などを読み、90歳を過ぎても本牧亭で高座をつとめた。
- 受賞
- 芸術祭賞〔昭和36年〕
- 没年月日
- 昭和49年 12月14日 (1974年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
服部 伸
ハットリ シン
明治〜昭和期の講談師,浪曲師
- 生年
- 明治13(1880)年6月2日
- 没年
- 昭和49(1974)年12月14日
- 出生地
- 東京・浅草今戸
- 本名
- 服部 辰次郎
- 別名
- 前名=浪花亭 駒子
- 経歴
- 12歳で浪曲師浪花亭駒吉に入門、駒子と名乗った。明治末年から一心亭辰雄と称し、江戸前の威勢のよいせりふ、優れた時代感覚と品のよさで人気を博す。55歳の時ノドを痛めて講談師に転向、作家長谷川伸から一字をもらって服部伸を芸名とした。浪花節時代に得意とした「は組小町」「関の弥太ッぺ」「一本刀土俵入」「大石東下り」などを読み、90歳を過ぎても本牧亭で高座を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
服部伸 (はっとりしん)
生没年:1880-1974(明治13-昭和49)
講談師。本名辰次郎。東京生れ。はじめ一心亭辰雄の名の浪曲師で,たんかのよさで売ったが,のどを痛めて1935年講談に転向。長谷川伸の名をもらい服部伸となった。《一本刀(いつぽんがたな)土俵入》《関の弥太っぺ》などの長谷川伸作品,それ以外では《は組小町》《大石東下り》などを得意にし,めりはりのきいた読み口で,90歳をこすまで高座をつとめていた。62年には芸術祭大賞をとっている。
執筆者:矢野 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
服部伸
はっとりしん
(1880―1974)
浪曲師、講釈師。東京・浅草生まれ。本名服部辰次郎(たつじろう)。12歳のとき、関東浪花節(なにわぶし)の祖である浪花亭駒吉(こまきち)に弟子入りし、駒子(こまこ)の名をもらい末弟子ながら将来を嘱望されていたが、1903年(明治36)浪花亭を返上し、一心亭辰雄(いっしんていたつお)と名のって独立。「節(ふし)の奈良丸啖呵(たんか)の辰雄声のよいのが雲右衛門(くもえもん)」とうたわれた。晩年、節で声を張ることができなくなり、35年(昭和10)講談に転向して服部伸を名のり、94歳で没するまで芸界の第一線で活躍した。
[秩父久方]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
服部伸 はっとり-しん
1880-1974 明治-昭和時代の浪曲師,講談師。
明治13年6月2日生まれ。浪曲師一心亭辰雄として啖呵(たんか)のよさで人気をえたが,昭和10年のどをいためて講談に転向,長谷川伸から名をもらって改名。「一本刀土俵入」「大石東下り」などを得意とし,90歳すぎまで高座をつとめた。昭和49年12月14日死去。94歳。東京出身。本名は辰次郎。
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服部 伸 (はっとり しん)
生年月日:1880年6月2日
明治時代-昭和時代の講談師;浪曲師
1974年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の服部伸の言及
【関の弥太っぺ】より
…主人公の関の弥太郎は,のちに島田正吾の当り役になった。長谷川伸に心酔していた講釈師服部伸(1880‐1974。この名も長谷川から1字もらったもの)がゆずりうけて講談化し,十八番としたほか,浪曲化もされて天才少女浪曲家といわれた春日井おかめ(1957引退)が演じたりしたのも,股旅ものの典型である題材が,これらの芸にふさわしかったからである。…
※「服部伸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」