新撰 芸能人物事典 明治~平成 「浪花亭駒吉」の解説 浪花亭 駒吉ナニワテイ コマキチ 職業浪曲師 本名桜井 駒吉 生年月日天保13年 経歴少年時代に名古屋で「浮かれ節」を習い、のち江戸に出て関東一帯の「チョボクレ」を聞いてまわり、浪花節の関東節を編み出した。維新後、東京各所の寄席に出演して人気を得、多くの門下を育成した。浪花節の前身「浮かれ節」などが台詞なしの節ばかりであったのを、講談のような台詞や地の文が入るようにした、といわれる。 没年月日明治39年 (1906年) 伝記浪花節繁昌記 大西 信行 著(発行元 小学館 ’98発行) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「浪花亭駒吉」の意味・わかりやすい解説 浪花亭駒吉 (なにわていこまきち)生没年:1843-1906(天保14-明治39) 浪曲家。本名桜井駒吉。名古屋の浪花家辰之助門下。明治維新の際,江戸に出て関東各地を回り,一代の名曲師戸川てると相知り,浪花節の関東節の基礎を成した。組合では2代目頭取をつとめ,浪曲界の第一人者として,落語の三遊亭円朝,講談の2代松林伯円(しようりんはくえん)と同等の木戸銭を取って満員をつづけた。品位のある芸風で,黒田清隆,三条実美,大江卓などの名士にも愛された。執筆者:興津 要 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「浪花亭駒吉」の意味・わかりやすい解説 浪花亭駒吉なにわていこまきち(1842―1906) 浪曲師。本名桜井駒吉。名古屋祭文(さいもん)の浪花亭辰之助(たつのすけ)門下とも伝える。幕末期に江戸へ出て説経浄瑠璃(じょうるり)の日暮龍卜(ひぐらしりゅうぼく)を知り、祭文の合の手に説経節(ぶし)風の三味線を使うことを勧められ、相三味線に戸川てるという協力者を得て、18通りの約節(やくぶし)をくふうしたといわれる。明治維新後、東京で初めて「お座敷浪花節」の看板を掲げ、大道芸の祭文と一線を画した最初の浪花節語りとなった。[秩父久方] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浪花亭駒吉」の解説 浪花亭駒吉 なにわてい-こまきち 1842-1906 明治時代の浪曲師。天保(てんぽう)13年生まれ。名古屋で浮かれ節をならう。江戸にでて台詞(せりふ)や地の文をいれるようにした関東節をつくりあげ,「お座敷浪花節」の看板をかかげ,寄席(よせ)芸にまでそだてる。曲師戸川てると協力,関東節に18通りのヤク節を完成させた。明治39年1月29日死去。65歳。本名は桜井駒吉。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by