駒牽 (こまひき)
平安時代,諸国の牧(まき)から貢進する馬を天皇が見る儀式。8月15日におこなわれたが,のち朱雀天皇の国忌のため,16日に変更となった。駒を養う牧は勅旨によって定められ,もとは例えば7日甲斐,13日武蔵の秩父,16日信濃,17日甲斐の穂坂,20日武蔵の小野,23日信濃の望月,25日武野立野,28日上野というように馬が牽かれてくる日が決まっていた。おのおのの国では50匹から80匹の馬を養う。鎌倉時代末より諸国の駒牽は絶えて信濃と望月牧のみとなった。天皇は紫宸殿,仁寿殿において閲覧し,親王以下群臣が参り,貢馬の解文が出され,牽馬の儀がおこなわれる。式終了後,貢馬の中から御料馬が定められ,そのあまりを親王,公卿たちに賜る。5月の騎射式に先立って馬と射手を武徳殿において天皇が見るための駒牽が4月28日(小の月は27日)に行われるが,これは貞観年間(859-877)に始まり,平安末期に絶えた。
執筆者:山中 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
駒牽
こまびき
天皇が紫宸殿(ししんでん)または武徳殿に出られ、貢進された馬を御覧になる儀式。4月の駒牽は、5月5日の騎射(きしゃ)(馬上から弓を射ること。馬弓(うまゆみ))に出る馬と、馬寮の馬を御覧になる儀式だったが、これは貞観(じょうがん)年間(859~877)に始まり、平安末期になくなっている。一般にいう駒牽は8月の儀式をさす。初めは8月15日に行われたが、のちに朱雀(すざく)院の国忌(天皇の父母の忌日)により、16日に改められた。馬を養う牧場はおもに甲斐(かい)と信濃(しなの)があてられ、16日が信濃、17日は甲斐穂坂、20日は武蔵(むさし)国小野、23日は信濃望月(もちづき)、28日は上野(こうずけ)、という順に引かれた。それぞれの牧場は50頭から80頭の馬を養う。鎌倉時代末より、諸国の駒牽が絶え、信濃望月のみになった。
[山中 裕]
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の駒牽の言及
【ウマ(馬)】より
…馬の利用の進展に伴って,古代国家権力は各地方,ことに東日本に[牧](まき)をおき官制を設けて,軍馬,騎乗馬,駄馬などを育成貢納させた。これらはほとんどが軍事用であったが,それらが東国から京にひかれて朝廷に進献される8月には,天皇臨御のもとに[駒牽](こまひき)の儀式が行われ,詩歌に多く詠ぜられて有名である。地方で直接に牧の経営に当たり住民の統率に当たっていた人々は,しだいに政治力,武力を手中に収めて武士となり,関東を中心として連合した勢力が京都の貴族政権と対立するまでに成長していった。…
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