木ノ本村(読み)きのもとむら

日本歴史地名大系 「木ノ本村」の解説

木ノ本村
きのもとむら

[現在地名]和歌山市木ノ本・松江中まつえなか三丁目・松江北まつえきた二丁目・同五―七丁目

海部あま郡に属し、東は名草なくさ梅原うめはら村に接する。北に葛城(和泉)山脈を負い、山越えで和泉に抜ける道がある。集落は淡島街道(旧南海道)沿いに形成されている。木本きのもとの名は天平一九年(七四七)二月一一日付の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(文化庁蔵)に「木本郷」とみえる。平安時代以降は木本庄として推移。戦国時代の雑賀一揆では五組中のじゆつヶ郷に属した(永禄五年七月吉日付「湯河直春起請文」湯河家文書)

慶長検地高目録によると高二千三五一石余、小物成二石二斗一升一合。当村は西組・東組に分れ、年貢を納入した。「続風土記」によると高一千四九一石余。


木ノ本村
きのもとむら

[現在地名]橿原市木之本きのもと

天香久あめのかぐ山西麓に位置する。中世には木本と書く(経覚私要鈔)。永正一二年(一五一五)の膳夫庄差図(談山神社蔵)では、出合であい(現出合町)から南下する道を「木本海道」と記す。「古事記」神代巻に「香山畝尾の木の本に坐して、泣沢女神と名づく」とあり、「古事記伝」には「畝尾も木本も地名為れるなり「姓氏録」に畝尾ノ連と云姓もあり、此処よりぞ出でけむ」とみえる。

慶長期(一五九六―一六一五)は大野治長領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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