精選版 日本国語大辞典 「木付」の意味・読み・例文・類語 こ‐つき【木付】 〘 名詞 〙 木のかっこう。木ぶり。枝ぶり。[初出の実例]「こつきの美しき木に花の咲きたるがごとし」(出典:禅鳳雑談(1513頃)上) き‐つき【木付】 〘 名詞 〙① ⇒こつき(木付)② 流木に魚群がついて遊泳していること。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「木付」の解説 木付きつき 大分県:杵築市木付八坂下(やさかしも)庄のうちにあった地名で、その後範囲は拡大していったと思われる。弘安一〇年(一二八七)一二月一八日の関東下知状案(石志文書)に「八坂下庄木村内四箇名得一・鴨河・木苔・糺四郎事」とみえ、石志四郎壱に与えられている。この木村は木付の誤記と考えられている。また年月日未詳の八坂下庄秋吉名当知行并押領分坪付注文(秋吉文書)などにも「木付河そい」「木付市前」「木付本屋敷」「木付屋敷」などの地名があり、秋吉(あきよし)名のうちであった。建武元年(一三三四)六月一六日の雑訴決断所牒写(真玉氏系図)によれば、藤原(木付)貞重に「木付庄本方惣領分・八坂庄惣領分三分二・歳田庄之内三分二、真玉庄本方七十町」などが安堵されている。大友親秀の六男親重が建長二年(一二五〇)に速見郡木付鴨川(かもがわ)に住み、木付を名字としたといい(「秋吉系図」秋吉文書)、木付貞重はその孫にあたる。しかし木付庄という庄園はこの文書以後一六世紀半ばまでその名がみえず、この文書は検討を要する。それではいつ頃から木付氏は下庄のなかに所領を得たのであろうか。建武四年三月二七日の高師直書下(武内文書)によれば、田原正曇(直貞)に八坂下庄の代官職が与えられている。その後正曇はこの職の替りに、暦応四年(一三四一)八月二八日肥前国山田(やまだ)庄(現長崎県吾妻町)地頭職を宛行われているが(「足利尊氏(カ)袖判下文」大友家文書録)、この八坂下庄の代官職は領家代官職であったと思われる。このような領家代官職は、すでに鎌倉時代の正和三年(一三一四)の文書にも確認され、「代官多伊良左衛門殿」とみえ(同年四月日「八坂下庄大片平弁済使浄恵陳状」宇都宮作治文書)、この代官を「地頭多伊良左衛門」とも言換えている(同年月日「八坂下庄大片平正一申状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by