20世紀日本人名事典 「木村清四郎」の解説
木村 清四郎
キムラ セイシロウ
- 生年
- 文久1年6月5日(1861年)
- 没年
- 昭和9(1934)年9月24日
- 出生地
- 備中国小田郡三谷村(岡山県)
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾〔明治16年〕卒
- 経歴
- 「中外物価新報」に関係し、同紙の論説を担当。明治18年主幹となり経営の一切を引受けて同紙を主宰、23年「中外商業新報」と改題、社名を商況社と改め(後の日本経済新聞社)、同紙を代表的経済紙に発展させた。30年日銀総裁岩崎弥之助の勧めで日銀副支配役として入行。34年営業局長、39年理事、大正8年副総裁に就任。震災手形や金解禁問題をはじめ、日銀の政策運営に重要な役割を果たし、事実上の総裁と目された。15年病のため辞職。昭和2年勅選貴族院議員、その他帝室経済顧問、日銀参与、簡保積立金運用委員会委員、千代田生命取締役などを務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報