改訂新版 世界大百科事典 「本福寺跡書」の意味・わかりやすい解説
本福寺跡書 (ほんぷくじあとがき)
16世紀前半,近江堅田の本福寺の住持であった明誓(みようぜい)の記した記録物。同寺には天文年間(1532-55)に相ついで書かれた4種の記録がある。5世明宗の《本福寺明宗跡書》,6世明誓の《本福寺由来記》《本福寺門徒記》と,この跡書である。跡書は,日記・由来記をもとに加筆・補充してつくられた。同書には,15世紀初頭以来の本福寺とその門徒団の形成過程,本願寺に対する貢献と一向一揆での活躍,一門衆の圧迫による本福寺自体の没落が記されている。由緒の誇示,一門衆に対する非難,明誓自身の教訓のことばが全編に満ちており,史料的な吟味は必要だが,当代における人の心情や生の声を知りうる数少ない貴重な史料である。本福寺とその門徒団は,湖西真宗教団の一員にすぎないが,とくに注目されてきた理由は,彼らが最も初期に蓮如教団に加わり,1465年(寛正6)の大谷破却や68年(応仁2)の堅田大責(おおぜめ)のときの主体だからである。跡書に見られる彼らの歴史とは,琵琶湖の運送管理を独占していた堅田の侍衆(殿原(とのばら)衆)の支配に対抗して,新興の手工業者群(全人(またうど)衆)が,本福寺を中心に念仏講を結んで自立していく歴史であり,また,一門寺院の圧迫によって,本福寺が門徒団を次々に失っていく歴史でもあった。1948年服部之総の《蓮如》により,跡書の存在が一般に知られだし,以来学界の強い注目を集め続けている。《日本思想大系》所収。
執筆者:金龍 静
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報