朱鎔基(読み)しゅようき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱鎔基」の意味・わかりやすい解説

朱鎔基
しゅようき / チューロンチー
(1928― )

中国の政治家。湖南(こなん)省生まれ。1949年中国共産党入党。1957年の反右派闘争の際に「右派」のレッテルを貼(は)られ、文化大革命中は農村での強制労働を体験した。1987年に上海(シャンハイ)市党委員会副書記となり、翌1988年には市長に就任して上海の経済立て直しに手腕を発揮した。外資導入促進のため「一つの窓口、一つのハンコ」という許認可手続簡素化を推進したことは有名で、一時「中国のゴルバチョフ」と称されたこともある。「経済のわかる指導者」として鄧小平(とうしょうへい)の信頼は厚く、1991年4月の全国人民代表大会で副首相抜擢(ばってき)され、1992年第14期一中全会で政治局常務委員に昇格した(~2002年)。1998年3月、第9期全国人民代表大会で首相となり(~2003年)、高い経済成長を維持しながら国有企業、行政、金融の三大改革を推進し、世界貿易機関(WTO)加盟を実現させるなどの成果をあげた。2000年(平成12)10月来日の際には、中国の要人として初めて民放の市民対話番組に出演した。2002年に中央政治局常務委員を退任、翌2003年には首相を退いた。

[渡邊幸秀]

『陳村金麦著『中国を変える朱鎔基の人脈と改革』(1999・グローバルネットワーク)』『朱建栄著『朱鎔基の中国改革』(PHP新書)』『矢吹晋著『「朱鎔基」中国市場経済の行方』(小学館文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱鎔基」の意味・わかりやすい解説

朱鎔基
しゅようき
Zhu Rong-ji

[生]1928.10. 湖南,長沙
中国の政治家。 1949年中国共産党入党。 1951年清華大学電機工学科卒業。 1970~75年五・七幹部学校下放。 1979年国家経済委員会に勤務,1982年より国家経済委員会局長,同委員会副主任などを歴任。 1987年中国共産党第 13回全国代表大会 (党大会) で中央委員候補に選出された。 1988年上海市長,1989年より上海市党委員会書記を兼任。 1990年より上海の浦東地区の開発を進め注目を集めた。 1991年国務院副総理に抜擢され,国務院生産弁公室主任・党組書記を兼任,企業間で債務たらい回しにされる三角債問題の解決などに取り組んだ。 1992年国務院経済貿易弁公室主任・党組書記に就任し,中国マクロ経済運営の責任者となった。 1992年中国共産党第 14期中央委員会第1回全体会議での三級飛びの昇格人事で中央政治局常務委員 (2002退任) に選出された。 1998~2003年国務院総理 (首相) を務める。

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百科事典マイペディア 「朱鎔基」の意味・わかりやすい解説

朱鎔基【しゅようき】

中国の政治家。湖南省生れ。1951年清華大学電機工学部卒業。東北人民政府工業部に勤務,1957年からの反右派闘争で批判され,1978年名誉回復。国家経済委員会局長,清華大学教授などをへて,1987年共産党中央委員候補。翌年上海市長,1989年同市党委員会書記を兼任し,浦東新区の経済開発を指導。柔軟な発想により〈中国のゴルバチョフ〉と西側で評された。1991年副首相に昇格,国営企業の連鎖債務問題を扱い,のち中国人民銀行総裁を兼務。1998年首相となり,江沢民政権を支えたが,2003年3月の全人代で温家宝に首相の座を譲った。

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