温家宝(読み)おんかほう

百科事典マイペディア 「温家宝」の意味・わかりやすい解説

温家宝【おんかほう】

中国の政治家。天津近郊生れ。1965年入党,1968年北京地質学院大学院を修了。1983年地質鉱産次官をへて,総書記胡耀邦に抜擢され1986年−1993年中央弁公庁主任として趙紫陽江沢民にも仕えた。1987年党中央委員,1997年党政治局員,1998年副首相就任朱鎔基首相を補佐して金融と農業を担当。2002年政治局常務委員に昇格,2003年胡錦濤の国家主席就任とともに,全国人民代表大会で第10代首相に選出された。2008年再任され首相として二期目に入った。2008年5月の四川大地震の際にすぐに現地入りして指揮をとるなど,行動力と実務力を高く評価されていて国民的人気が高いが,その融和的姿勢に党内に根強い反対もあるといわれた。2013年3月の全国人民代表大会で習近平国家主席を中心とする体制に移行したことにともない任期を終了,後継の首相に李克強が就任した。2012年10月,ニューヨークタイムズ紙が温家宝の親族の巨額の蓄財を特報し,2013年4月この報道に対して,同紙上海支局長がピュリッツァー賞(国際報道部門)を受賞。中国外務省は強く反発している。
→関連項目中華人民共和国中国国家発展改革委員会薄熙來

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「温家宝」の意味・わかりやすい解説

温家宝
おんかほう / ウエンチアパオ
(1942― )

中国の政治家。天津(てんしん)に生まれる。北京(ペキン)地質学院卒業。1965年中国共産党入党。甘粛(かんしゅく)省地質局副局長などを経て、1983年中国地質鉱山省次官、1985年党中央弁公庁副主任、1986~1993年同庁主任。1993年党中央財経指導グループ秘書長、1997年党中央政治局委員、1998年3月第9期全国人民代表大会(全人代)で副首相に選任される。測量隊技師を経験したテクノクラート。党総書記であった胡耀邦(こようほう)によって中央に引き上げられる。1989年第二次天安門事件直前、同事件で失脚した党総書記の趙紫陽(ちょうしよう)に随行し、ハンストの学生らを見舞う。また、国家主席江沢民(こうたくみん)の日本、ロシア訪問に同行。2002年党中央政治局常務委員第3位。2003年3月の第10期全人代で国務院総理(首相)に選出された。「第四世代」の一人。2007年(平成19)4月に来日し、中国の首相として初めて国会演説を行った。2008年3月首相に再選され、2013年3月まで務めた。

渋谷 司 2019年4月16日]

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現代外国人名録2016 「温家宝」の解説

温 家宝
オン・カホウ
Wen Jia-bao

職業・肩書
政治家 元中国首相,元中国共産党政治局常務委員

国籍
中国

生年月日
1942年9月15日

出生地
天津

学歴
北京地質学院大学院地質構造学専攻〔1965年〕修了

経歴
両親ともに教師で祖父校長という教育熱心な家庭に育つ。1965年中国共産党入党。甘粛省地質局副局長などを経て、’83年地質鉱産省次官、’85年10月党中央弁公庁副主任、’86年6月〜’93年3月同庁主任(秘書室長に相当)を務め、胡耀邦、趙紫陽、江沢民と3代の総書記のもとで党務をこなした。一方、’87年党中央委員、中央書記局書記候補。’89年の天安門事件では趙総書記とともに学生を見舞ったが、失脚を免れた。’92年10月党政治局員候補、書記局書記。’93年3月党中央財経指導グループ秘書長。’97年9月党政治局員。’98年から党中央金融工作委書記。’98年3月第9期全人代で副首相に選任される。同年夏の長江大洪水で陣頭指揮を執り高い評価を得る。2002年11月党政治局常務委員に昇格(序列3位)。2003年3月第10期全人代で首相に選任。2007年4月中国首相としては6年半ぶりに日本を公式訪問し、中国首相として初めて国会で演説を行う。2008年3月第11期全人代で首相再任。2012年11月党政治局常務委員退任。2013年3月首相退任。2008年12月、2010年5〜6月、2011年5月訪日。中国“第四世代”に属し、“平民総理”の愛称で親しまれた。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「温家宝」の意味・わかりやすい解説

温家宝
おんかほう
Wen Jiabao

[生]1942.9. 天津
中国の政治家。国務院総理(首相。在任 2003~13)。北京地質学院に学び,1968年構造地質学修士号を取得。学生時代に中国共産党に入党し,卒業と同時に甘粛省地質局の技術員および政治幹事となる。1982年国務院地質鉱産部に入る。1985年中国共産党中央弁公庁副主任,1986~93年同庁主任を務めた。中央弁公庁主任時代には数々の党要職を兼任し,胡耀邦趙紫陽江沢民と 3代の党中央委員会総書記に仕えた。1989年の天安門事件では趙総書記とともに天安門広場を訪れ,ハンガー・ストライキ中の学生を見舞う姿が大きく報道されて民主化運動への支持表明と受け止められたが,失脚を免れた。1992年党中央書記処書記,1997年党中央政治局委員となった。1998年中国の 4人の副首相の一人に任命された。副首相時代に農民の税負担軽減計画の実現に尽力して評価を受け,金融や環境などの分野も担当した。2002年党中央政治局常務委員に就任し,2003年国務院総理に選出された。胡錦濤・温家宝体制のもと急速な経済成長を成し遂げ,2008年再選。2013年李克強が新たに国務院総理に選出された。

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