杉崎村(読み)すぎざきむら

日本歴史地名大系 「杉崎村」の解説

杉崎村
すぎざきむら

[現在地名]鳥取市杉崎

桜谷さくらだに村の南に位置する。文政年間(一八一八―三〇)の法美郡全図(県立図書館蔵)では東・南・北の三方の村境は直線的で、条里の区画に準じたものと考えられる。拝領高は七二六石余、本免は四ツ八分。藪役銀二匁四分余・宇倍野山役米二斗余を課されており(藩史)、津田氏の給地があった(給人所付帳)。天保一五年(一八四四)の作人五九・出奉公人二七・入奉公人一〇、牛一一(「作人書上帳」井上家文書など)。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高八〇〇石余、竈数四四。享保二年(一七一七)の道路の在普請に際しては一〇石以上の高持は大鬮役を負担、小鬮日用役は無高が勤めている(在方諸事控)


杉崎村
すぎさきむら

[現在地名]古川町杉崎

みや川右岸にあり、南は沼町ぬままち村、北は袈裟丸けさまる村。宮川盆地北部屈指の水田地帯で、仁安元年(一一六六)頃の飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)みえ小島こじま郷は当村を中心としたと思われ、別称小島ともいう。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では小島郷に属し、田方四五二石余・畑方二三一石余、物成二〇五石余。同一八年の郷帳では高一千三〇〇石。元禄検地反歩帳では高五六四石余、田四一町三反・畑一一町三反余。「飛騨国中案内」では免六割九厘余、家数一二七(うち寺二・百姓九六・門屋二九)。安永二年(一七七三)の村明細帳によれば家数一一七、人数僧二・男二五三・女二一二、牛三・馬六八。


杉崎村
すぎさきむら

[現在地名]内原町杉崎

古矢こや川の北東側の台地上に位置する。結城街道に沿った街村で、東は中原なかはら村。

「新編常陸国誌」に「鹿島社久寿中神領目録ニ、那珂郡ノ内ニ、スキサキトアルモノ是ナリ」とみえる。和光院過去帳(和光院文書)の元亀三年(一五七二)に「杉崎」とみえ、天正一四年(一五八六)に「杉崎村」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「七百八拾五石三斗四升 杉崎村」とあり、水戸藩領であったが、正保三年(一六四六)天領となるなどの変遷を経て、安政二年(一八五五)の入石田畑取調帳(武藤文書)には「松平大炊守様分」「牧野備後守様分」などと記され、二藩(宍戸藩・笠間藩)・天領・旗本領が錯綜していた。


杉崎村
すぎさきむら

[現在地名]武生市杉崎町

杉崎山の北端にある。中世には杉前すぎさき三ヵ村に含まれたと推定される。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名と高六八三・一四石が記され、正保郷帳によると田方六五四石余・畠方二九石余。貞享三年(一六八六)に福井藩領から幕府領となるが、元禄五年(一六九二)から一時期土岐頼殷領であった。寛政一二年(一八〇〇)の杉崎村明細帳(「松ヶ鼻用水沿革史」所引)によれば家数三〇・人数一五五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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