杉浦健一(読み)スギウラ ケンイチ

20世紀日本人名事典 「杉浦健一」の解説

杉浦 健一
スギウラ ケンイチ

昭和期の文化人類学者 元・東京大学教養学部教授。



生年
明治38(1905)年8月16日

没年
昭和29(1954)年1月15日

出生地
愛知県岡崎

学歴〔年〕
東京帝大文学部宗教学・宗教史学科〔昭和6年〕卒,東京帝大大学院〔昭和8年〕中退

経歴
昭和11年まで日本の辺地民俗学的調査に参加。12年から南洋庁嘱託となり、5回ミクロネシアの現地調査を行った。13年東大理学部副手、18年文部省民族学研究員、19年東大理学部講師、25年東京外国語大学教授。28年東大教授に復帰、教養学部文化人類学を担当。著書に「未開人政治と法律」「原始経済の研究」「人種と民族学」「人類学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉浦健一」の意味・わかりやすい解説

杉浦健一
すぎうらけんいち

[生]1905.8.16. 岡崎
[没]1954.1.15. 東京
文化人類学者。 1931年東京帝国大学宗教学科卒業。文部省民族研究所員,東京外国語大学教授を経て,53年東京大学文化人類学科の初代教授。宗教民族学の研究から出発し,初め文化圏説に関心を寄せたが,のち機能主義に転じた。 37~41年ミクロネシアで調査を行い,日本人による同地域研究の草分けとして知られる。第2次世界大戦後は特にアメリカ文化人類学の影響を受けて「文化とパーソナリティ」の問題に集中,また晩年はイギリス社会人類学に傾斜して,泉靖一とともに北海道アイヌの親族組織研究にうちこんだ。主著『未開人の政治と法律』 (1947) ,『原始経済の研究』 (48) ,『人類学』 (51) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉浦健一」の意味・わかりやすい解説

杉浦健一
すぎうらけんいち
(1905―1954)

文化人類学者。東京大学文学部卒業。1950年(昭和25)東京外国語大学教授、1953年(昭和28)東京大学教養学部教授となる。日本の文化人類学の創成期に活躍した学者にふさわしく、広い関心領域をもち、宗教民族学から始まって物質文化論、文化とパーソナリティー論、生態人類学、親族組織論などにまでその研究は及んだ。国内外での現地調査の経験も豊富で、とりわけ第二次世界大戦前に南洋庁の嘱託として行ったミクロネシア調査は数多くの貴重な論文を生み出したのみならず、日本人によるこの種の海外調査の先駆けとなった重要なものである。主著に『原始経済の研究』(1948)、『人類学』(1951)などがある。

[山本真鳥 2018年11月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉浦健一」の解説

杉浦健一 すぎうら-けんいち

1905-1954 昭和時代の文化人類学者。
明治38年8月16日生まれ。国内での民俗学的調査のほか,昭和12年から南洋庁嘱託としてミクロネシアの現地調査をおこなう。東京外大教授をへて28年東大教授。昭和29年1月15日死去。48歳。愛知県出身。東京帝大卒。著作に「原始経済の研究」「人類学」など。

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367日誕生日大事典 「杉浦健一」の解説

杉浦 健一 (すぎうら けんいち)

生年月日:1905年8月16日
昭和時代の文化人類学者。東京大学教授
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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