江戸前・中期の俳人。姓は杉山,通称は藤左衛門,また市兵衛。採荼庵(さいだあん),荼舎,蓑翁などと号す。父の代から幕府に魚を納めるお納屋(なや)で,鯉屋を称した。芭蕉の江戸出府と同時に入門し,蕉門の基礎をかためるとともに,芭蕉の経済面での庇護者ともなった。1675年(延宝3)刊《俳諧絵合》に発句を初めて採用されて以来,延宝期の活躍はめざましく,80年の《桃青門弟独吟二十歌仙》巻頭に歌仙を載せ,また発句50句を25番に取り組ませ,これに芭蕉による勝負の判定と,判詞を記した《常盤屋の句合》を出版した。芭蕉入庵に際し,深川六間堀の下屋敷を提供,94年(元禄7)江戸を離れるまで終始親しく交わり,なにかと身の上の相談に応じるなど,その篤実さは,芭蕉をして〈杉風は東三十三国の俳諧奉行〉と称せしめるほどであった。芭蕉の俳風によく追随し,《炭俵》《別座鋪(べつざしき)》には“軽み”の作品を残した。教養も広く,絵画を狩野昌運に,禅を大竜寺の和尚に学び,また茶道は宗甫の流れを学んだ。著作に芭蕉七回忌集《冬かつら》《角田川紀行》があり,後世,採荼庵2世梅人によって《杉風句集》が編まれた。採荼庵は長く8世まで継がれた。〈襟巻に首引き入れて冬の月〉(《猿蓑》)。
執筆者:井上 敏幸
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江戸前期の俳人。杉山氏。通称市兵衛。別号採荼庵(さいたあん)など。江戸・小田原町で幕府、諸侯の魚御用商を営んだ富商。家号は鯉屋(こいや)。1675~76年(延宝3~4)ごろから松尾芭蕉(ばしょう)に師事して俳諧(はいかい)をたしなみ、80年『常盤屋句合(ときわやのくあわせ)』『桃青(とうせい)門弟独吟二十歌仙』などで蕉門形成期に重要な役割を演ずるとともに、芭蕉の経済的庇護(ひご)者となり、深川の芭蕉庵建築の資金負担をはじめ、最後まで生活の援助を続けた。本業多忙のため俳壇活動はじみであったが、師風の進展につねに忠実に従い、誠実温厚でもあったので芭蕉の信頼も厚く、世間からも蕉門の元老格と目された。墓は東京都世田谷(せたがや)区宮坂の成勝寺。句集に『杉風句集』(1785・梅人編)がある。
[今 栄蔵]
『高木蒼梧著「杉山杉風」(『俳句講座2』所収・1958・明治書院)』
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…許六の〈師の説〉に〈十哲の門人〉と見えるが,だれを数えるかは記されていない。その顔ぶれは諸書により異同があるが,1832年(天保3)刊の青々編《続俳家奇人談》に掲げられた蕪村の賛画にある,其角,嵐雪,去来,丈草,許六(きよりく),杉風(さんぷう),支考,野坡(やば),越人(えつじん),北枝(各項参照)をあげるのがふつうである。【石川 八朗】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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