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李徳全 リトクゼン

百科事典マイペディアの解説

李徳全【りとくぜん】

中国の社会事業家,政治家。西北軍閥馮玉祥未亡人。日中戦争中重慶で婦女慰労総会を指導,以後一貫して託児所事業や救済事業に専念。中国紅十字総会会長,人民代表大会代表等を歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

李徳全 り-とくぜん

1896-1972 中国の婦人運動家,政治家。
光緒22年7月1日生まれ。馮玉祥(ふう-ぎょくしょう)の妻。日中戦争中,南京などで女性解放運動を指導。中華人民共和国成立後,国務院衛生部長,中国紅十字会会長を歴任した。日本人の帰国につくし,昭和29年以来2度来日。1958年中国共産党に入党。1972年4月23日死去。77歳。河北省出身。北京協和女子大卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

りとくぜん【李徳全 Lǐ Dé quán】

1896‐1972
中国の政治家。河北省出身。牧師の娘に生まれ,1925年西北軍閥の頭領でクリスチャン・ゼネラルと呼ばれた馮玉祥(ふうぎよくしよう)と結婚,抗日戦中は重慶で婦女慰労総会を指導。49年中華人民共和国成立とともに民主人士として国務院衛生部長(衛生相)に任ぜられ,中国紅十字会会長を兼任。53年からの残留日本人3万人の帰国事業に尽力。54年,57年の2回来日した。66年中国人民政治協商会議副主席。【宍戸 寛】

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大辞林 第三版の解説

りとくぜん【李徳全】

1896~1972) 中国の政治家。夫は馮玉祥ふうぎよくしよう。抗日戦中は重慶で婦人運動に活躍。人民政府成立後、紅十字会会長。残留日本人の帰国事業に尽力。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李徳全
りとくぜん / リートーチュワン
(1896―1972)

中国の政治家。河北省で牧師の娘として生まれる。協和女子大学卒業。女学校で教鞭(きょうべん)をとりつつ北京(ペキン)YWCAの運動に参加。29歳で軍閥政治家馮玉祥(ふうぎょくしょう)と結婚。日中戦争期には南京(ナンキン)・重慶(じゅうけい)で女性運動を指導した。1949年国民党革命委員会代表として人民政治協商会議に参加、人民共和国の衛生部長、1950年には中国紅十字会会長となる。日本人の帰国などに尽力し、1954年(昭和29)と1957年に来日。1958年中国共産党に入党。1965年中国人民政治協商会議副主席。[加藤祐三]

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世界大百科事典内の李徳全の言及

【馮玉祥】より

…なお馮玉祥はクリスチャン・ゼネラルとして有名であった。後妻の李徳全は解放後,中国紅十字会会長等の要職についた。【狭間 直樹】。…

※「李徳全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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