杭全神社(読み)くまたじんじや

日本歴史地名大系 「杭全神社」の解説

杭全神社
くまたじんじや

[現在地名]平野区平野宮町二丁目 殿堂

平野川左岸に鎮座境内東側の乳母うばが淵は近世平野郷ひらのごう町の街衢を囲んだ環濠の遺跡で、参道に茂る木々のうち、樹齢七〇〇年以上と推定される樟は大阪府の天然記念物。祭神は素盞嗚命・伊弉諾尊伊弉冉尊を配する。旧郷社。中世には杭全庄の惣社、近世には平野郷町の産土神で、祇園社(牛頭天王)熊野権現社・平野郷社などと称された。当地は古代住吉郡全郷(和名抄)、のち杭全庄の地で、社伝によれば、平安時代初めに征夷大将軍坂上田村麻呂の子広野麻呂が現社地周辺に庄園を経営し、その子当道が貞観四年(八六二)氏神として当神社を創建したと伝える。その後の熊野信仰の隆盛に伴い、建久元年(一一九〇)に第三本社、元亨元年(一三二一)に後醍醐天皇の命で第二本社が造営され、熊野権現を祀ることになった。中世には神宮寺の存在が知られ、観応二年(一三五一)九月一七日の神宮寺に対する足利直義禁制、室町幕府管領畠山満家の神宮寺宛書状が残る。杭全庄の惣結合の中心で、第二本殿の永正一〇年(一五一三)一二月二六日の棟札には「住吉郡杭全庄惣社熊野三所権現玉殿」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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