東寺村(読み)ひがしでらむら

日本歴史地名大系 「東寺村」の解説

東寺村
ひがしでらむら

[現在地名]室戸市室戸岬むろとみさき三津みつ高岡たかおか

室戸岬先端の東側、太平洋に面し、険しい岬の山を背にして海岸沿いに位置する。北は椎名しいな村、岬を西に回ると津呂つろ村。岬端の山上には最御崎ほつみさき(東寺)がある。元禄郷帳に「古者三津村」とあり、古くは三津村と称した。室戸岬東側の地形は、西側と異なり険しい斜面がそのまま海中に没して海岸段丘は存在せず、地盤の隆起が岬一帯で繰返された結果、わずかに生じた海沿いの平地を開いて耕作してきた。天正一五年(一五八七)の東寺地検帳にみえる「磯タ」「エビスハエ」「キシハエ」などの耕地につけられた地名は、そうした開田の事情を物語る。

室戸岬一帯は室津むろつなどとともに古くから東寺領とされ、前記地検帳でも東寺分とされる。東寺地検帳は室津村の一部と蔵戸くろど村・ししな村・鹿岡かぶか村・三津之村で一冊とするが、この三津之村には現在の三津・高岡から岬西の坂本さかもと・津呂が含まれる。江戸時代初め津呂村分離、三津・高岡・坂本が三津村とよばれ、やがて津呂湊が整備されて津呂地区が発展すると、坂本は津呂村に吸収され、三津村は岬東の三津・高岡だけになった。なお「土佐州郡志」では「高岡村・坂本村 東寺領」とあり、行政上の区分けとはかかわりなく、両地区が東寺領であり続けたことがわかる。

東寺村
ひがしてらむら

[現在地名]石部町東寺

石部村の南、阿星あぼし山北麓に集落を形成する。村名は地内長寿ちようじゆ寺の通称東寺によるものと思われる。中世檜物ひもの庄に属し、のち石部三郷として推移。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「東寺」三五八石余とみえ、家康の在京賄料に充てられた。慶長六年(一六〇一)膳所藩領となったとされ、寛永石高帳でも同藩領。延宝七年(一六七九)河内西代藩領となったが、天明村高帳では京都所司代牧野貞長領、文政石高帳では幕府領

東寺村
とうじむら

[現在地名]吉川町東寺

東は平等寺びようどうじ村、西は小沢おざわ村、北は後生寺ごしようじ村に接し、村内を平等寺川が流れる。正保国絵図に高二九石余とある。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高九九石二斗余である。天和三年郷帳によれば高一二八石三斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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