日本歴史地名大系 「東横町」の解説 東横町ひがしよこまち 北海道:渡島支庁松前町松前城下東横町[現在地名]松前郡松前町字豊岡(とよおか)近世の松前城下の一町。大松前(おおまつまえ)川と伝治沢(でんじさわ)川(大泊川)に挟まれた海岸段丘上の東端にあり、南西は東新(ひがししん)町。宝暦一一年(一七六一)の「御巡見使応答申合書」に町名がみえる。文化(一八〇四―一八)頃の松前分間絵図には「東横町 又足軽町トモ申候」とあり、武家屋敷が描かれる。天保一四年(一八四三)の御触留書(市立函館図書館蔵)に「馬形足軽町」とある。 東横町ひがしよこまち 石川県:加賀市大聖寺町東横町[現在地名]加賀市大聖寺東横町(だいしようじひがしよこまち)五軒(ごけん)町の一筋東の南北に走る通りに沿った両側町で、東と北を熊坂(くまさか)川が流れる。南は熊坂村。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図に「東町」と記され、おおかた町家であるが南半部は足軽・徒士屋敷が多い。町家は石屋・紺屋・扇屋など職人的なものもあるが、荻生屋・細坪屋・直下屋・三ッ村屋など近隣の村名を屋号としたものが目立つ。 東横町ひがしけぬきよこちよう 岐阜県:岐阜市岐阜町東横町[現在地名]岐阜市大和町(やまとまち)上竹屋(かみたけや)町の南端を東に折れた所に位置する東西に延びる両側町。東端は靭屋(うつぼや)町・米屋(こめや)町の町筋に直交し、西は西横町に至る。織田信長による岐阜町建設のとき成立したとされ、けぬき(きり)を作る職人坪内弥右衛門が居住していたことが町名の由来という(旧岐阜市史)。岐阜町四四町の一で、承応町絵図に「ケヌキヤヨコ丁」、寛政六年(一七九四)の町絵図に東けぬき町とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by