日本歴史地名大系 「松倉城跡」の解説
松倉城跡
まつくらじようあと
康永三年(一三四四)井上俊清が守護を罷免され幕府に敵対すると、能登吉見勢や桃井勢が討伐に差向けられ、貞和二年(一三四六)七月には井上方の「松倉与水尾南山要害」などで戦いが行われた(同年閏九月日「得田素章代章名軍忠状」遺編類纂所収得田文書)。この結果、俊清は降伏、松倉城も陥落したとみられる。しかし俊清は翌三年再び幕府に敵対したため、桃井直常や能登の吉見氏頼の軍勢が討伐に差向けられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報