松前湊(読み)まつまえみなと

日本歴史地名大系 「松前湊」の解説

松前湊
まつまえみなと

松前城下のうち主として大松前おおまつまえ川・小松前こまつまえ川の河口入江地域をさすが、唐津内沢からつないさわ川・伝治沢でんじさわ川河口域の入江も含む。松前三湊の一つ。「澗悪鋪度々破船有之」(松前蝦夷記)と指摘され、湊としてみた場合これらの入江は浅く、天然の防波地形をもたず良港としての条件は満たしていない。にもかかわらず湊としての役割を果し得たのは次のような理由であった。松前湾に面した福山(松前)の地(湊)は本州に近く、とりわけ小泊こどまり(現青森県小泊町)十三とさ(現同県市浦村)から蝦夷地へ向かうには最短距離にあり、当湊を確保することは本州と蝦夷地との海運ルートを押えることを意味する。松前藩は経営基盤がアイヌとの交易で成立っており、それゆえに湊を確保することは重要な意味をもっていた。「新羅之記録」によると、永正一一年(一五一四)蠣崎光広上ノ国から大館おおだてに移転すると同時に、商船・旅人から税を徴収する役取人(のちの沖之口番所の始まり)を置き流通統制を行っている。イエズス会宣教師の報告のなかで、松前城下では毎年定期的にアイヌと和人との交易が行われ、松前湊は諸国から来る大船も三〇〇隻を数えたと伝えている(一六一八年「アンジェリスの第一蝦夷報告」)。松前藩の成立当初はアイヌとの交易を独占するため、他国商船の来航地を松前湊に限定し、当湊から他所へ行くことは禁じられていた(慶長九年正月二七日「徳川家康黒印状」北海道開拓記念館蔵松前家文書)

初期の頃は蝦夷地から移出される品は生産量・種類ともに限られ、しかも加工・保存技術も未発達なため、商品性・保存度の高いものに限られていた。東北諸藩の商品市場が未発達な事情もあって、移出品の主たる販路は上方市場であり、米・味噌以外の生活必需品の移入元も上方市場となり、敦賀つるが(現福井県敦賀市)小浜おばま(現同県小浜市)と松前湊とを結ぶ海運が主であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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