大正・昭和期の登山家,ジャーナリスト 日本山岳会会長;共同通信社専務理事。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
登山家,ジャーナリスト。東京出身。松方正義の十三男で本名義三郎。学習院の中等科,高等科を経て京都帝国大学卒業。ジャーナリストとしては,新聞聯合社,同盟通信社,満州国通信社勤務を経て,1949年共同通信社専務理事に就任した。学生時代から登山をはじめ,1921年積雪期の燕岳スキー初登頂,22年槙有恒ら慶大隊と積雪期の槍ヶ岳初登頂などを行い,25年ヨーロッパ留学後はスイス・アルプスで数多くの山に登り,アイガーのヘルンリ稜初登攀を達成。良識をもって登山界をリードし,日本山岳会,日本山岳協会の会長をつとめるかたわら,70年にはエベレスト登山隊隊長もつとめ,日本の登山界の隆盛を築いた功労者である。《アルプス記》(1937),《アルプスと人》《遠き近き》などの著書がある。兄の松方幸次郎同様,美術にも造詣が深かった。
執筆者:徳久 球雄
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登山家。明治の元勲松方正義(まさよし)の十三男。学習院の中等科、高等科を経て京都帝国大学卒業。ジャーナリストの道を歩み、共同通信社専務理事を務めた。学生時代から登山を始め、1921年(大正10)厳冬期燕岳(つばくろだけ)スキー初登頂、22年厳冬期槍ヶ岳(やりがたけ)初登頂。25年からスイス・アルプスで数多くの登山を行いアイガーのヘルンリ稜(りょう)初登攀(とうはん)に成功した。良識をもって登山界をリードし、日本の登山界の隆盛を築いた功労者。第5代(1946~48)、第10代(1962~68)日本山岳会会長、68年(昭和43)名誉会員、イギリス山岳会会員。70年エベレスト登山隊隊長として、松浦輝夫(てるお)、植村直己(なおみ)の両隊員による日本隊初の登頂を成功させた。『アルプス記』『アルプスと人』『遠き近き』などの著書や多くの訳書がある。
[徳久球雄]
『『アルプスと人』(1976・築地書館)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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