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植村直己 うえむらなおみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

植村直己
うえむらなおみ

[生]1941.2.12. 兵庫
[没]1984.2.16. マッキンレー山頂付近
登山家,冒険家。明治大学山岳部時代に山と冒険の魅力にとりつかれる。1966年ヨーロッパのモンブラン,アフリカのキリマンジャロ山,1968年南アメリカのアコンカグア山登頂,1970年,日本人としては初めてアジアのチョモランマ(エベレスト)と北アメリカのマッキンレー山デナリ)の登頂を果たし,世界初の五大陸最高峰登頂を成し遂げた。1978年北極点単独初到達,グリーンランド初縦断。1984年南極大陸単独横断に備えてマッキンレー山の冬季単独登頂に成功するが,その帰途行方不明となる。遺体は見つかっていない。没後,国民栄誉賞が贈られた。

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デジタル大辞泉の解説

うえむら‐なおみ〔うゑむらなほみ〕【植村直己】

[1941~1984]登山家・探検家。兵庫の生まれ。世界五大陸の最高峰に登頂、また単独で犬橇(いぬぞり)による北極点到達にも成功。北米マッキンリーの冬季単独登頂に成功したのち、下山途中に消息を絶った。国民栄誉賞受賞。

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百科事典マイペディアの解説

植村直己【うえむらなおみ】

登山家・冒険家。明治大学農学部卒業,在学中は山岳部に所属。モン・ブラン(1966年),キリマンジャロ(1966年),アコンカグア(1968年),エベレスト(1970年),デナリマッキンリー山)(1970年)の五大陸最高峰登頂(エベレスト以外は単独)を世界で最初になしとげた。
→関連項目登山松方三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

植村直己 うえむら-なおみ

1941-1984 昭和時代後期の登山家,冒険家。
昭和16年2月12日生まれ。45年日本人初のエベレスト登頂。同年夏マッキンリーに登頂し,世界初の5大陸最高峰登山を達成。48年アマゾン川を筏(いかだ)でくだる。51年北極圏1万2000kmを犬ぞりで単独走破。59年2月12日マッキンリー冬期単独初登頂に成功,その下山途中に消息をたった。43歳。同年国民栄誉賞。兵庫県出身。明大卒。著作に「青春を山に賭けて」「極北に駆ける」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

うえむらなおみ【植村直己】

1941‐84(昭和16‐59)
登山家,冒険家。明治大学農学部で学ぶかたわら山岳部に所属し,山に魅せられ登山活動に打ち込むようになった。大学卒業の翌1965年,明治大学のゴジュンバ・カン遠征に飛入りで参加し初登頂した。その後,66年のモン・ブランを皮切りに,キリマンジャロ,アコンカグア,エベレスト,マッキンリーと五大陸最高峰の登頂を世界で最初に果たした。このうち日本山岳会の隊員として登ったエベレスト以外はすべて単独登頂であった。アコンカグア単独登頂に成功した68年には,アマゾン川3000kmを一人で下っている。

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大辞林 第三版の解説

うえむらなおみ【植村直己】

1941~1984) 登山家。兵庫県生まれ。明大卒。世界五大陸の最高峰に登頂、エベレスト以外は単独登攀とうはん。また、北極点に単独犬橇いぬぞりで到達。マッキンリーで消息を絶った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

植村直己
うえむらなおみ
(1941―1984?)

登山家、冒険家。兵庫県出身。明治大学在学中、山岳部に属し、1965年(昭和40)明大隊隊員としてヒマラヤの未踏峰ゴジュンバ・カン登頂。1966年アルプスのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ登頂、1968年南米のアコンカグア登頂後、ペルーのユリマグアス(イキトス市の上流)より河口まで60日間をかけてアマゾン川を筏(いかだ)で下った。1970年エベレストと北米のマッキンリーに登り、世界五大陸の最高峰に登頂、しかもエベレスト以外は単独登山であった。さらに1971年アルプスの難壁グランド・ジョラス北壁登攀(とうはん)後、エベレスト南壁国際登山隊に参加。1974年から1976年にかけてグリーンランドからアラスカまで北極海を単独犬ぞりで踏破、さらに1978年北極点に単独犬ぞりで到達。1980年アコンカグア厳冬期初登頂。1981年冬期エベレストに挑戦したが果たさず、さらに南極の最高峰ビンソン・マッシフに登る準備をしていたが国際情勢から断念。1984年2月北米マッキンリーの冬期単独登攀に成功、下山途中消息を絶った。
 人間の可能性への飽くなき挑戦を、周到な準備と卓抜な精神力と技術で実行した世界的な登山・冒険家である。著書に『青春を山に賭(か)けて』『北極園12000粁(キロ)』『極北にかける』などがある。1978年菊池寛賞、1979年バーラー賞、アカデミー・オブ・アメリカ賞、1984年4月国民栄誉賞を受けた。[徳久球雄]
『『青春を山に賭けて』(文春文庫)』

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世界大百科事典内の植村直己の言及

【国民栄誉賞】より

…プロ野球読売ジャイアンツの王貞治が通算最多本塁打世界記録更新にあと一歩と迫った1977年8月30日の閣議の席上,福田赳夫首相が言い出したもので,王の記録(756本)達成の瞬間に初めて適用されることになり,同年9月3日に王に初めて贈られた。その後78年7月作曲家の故古賀政男,84年4月俳優の故長谷川一夫および冒険家の植村直己(受賞時点で消息不明,その後死亡がほぼ確定)に贈られた。お祝い的性格が強いもので,表彰状,盾,記念品が贈られる(その後1989年までに山下泰裕,衣笠祥雄,故美空ひばり,千代の富士が受賞)。…

【登山】より

…ヒマラヤ,アンデスなどでの日本隊の活躍も注目を浴び,70年松方三郎を隊長とする日本隊が日本人として初めてエベレスト頂上に立ち,南西壁登攀に先鞭(せんべん)をつけた。また,84年マッキンリーで消息を絶った植村直己も,五大陸最高峰征覇で知られる。一方,国内では第2次大戦後登山者が増加し,また観光化が進んで困難なルートに安易に登山したりすることから遭難が続発して社会問題化し,群馬県や富山県では登山条例を設け,季節やルートにより規制を行うようになった。…

【北極】より

…氷上からの極点到達はスポーツ化し1968年4月19日のアメリカ人プレーステッドRalph Plaistedをはじめ,近年では日本人も加わっている。78年4月には日本大学隊と植村直己(1942‐84)が到達し,植村はグリーンランドを縦断した。
【開発史】
 古くは魚や海獣猟,陸上での毛皮猟を経て,トナカイ飼育や毛皮動物飼育などの経済活動があったが,現在は鉱業や林業が中心となっている。…

※「植村直己」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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