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(佐藤英達)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
藤田組の創始者。長州藩萩(はぎ)の出身。醸造業を営む家に生まれ、高杉晋作(たかすぎしんさく)の奇兵隊に参加した。明治維新後、陸軍用達業者となり、西南戦争で巨利を得て、1881年(明治14)2人の兄(藤田鹿太郎(しかたろう)、久原庄三郎(くはらしょうざぶろう))とともに藤田組を設立した。この間1879年贋札事件(がんさつじけん)の嫌疑を受け逮捕されたが無罪となった。1884年官営小坂鉱山の払下げを受け、また1889年には岡山県児島湾(こじまわん)の干拓事業の認可を受け、以後この両事業を中心に藤田財閥の形成を図った。また、太湖汽船、大阪紡績、阪堺鉄道(はんかいてつどう)、山陽鉄道などの設立に参加、さらに1885年には大阪商法会議所会頭になるなど、関西財界の重鎮として活躍し、1911年(明治44)には男爵を授けられた。
[宇田川勝]
『岩下清周著『藤田翁言行録』(1913・秀英舎)』
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…
…山口・萩の醸造業者久原庄三郎の四男に生まれる。藤田組の創設者藤田伝三郎は父庄三郎の実弟。慶応義塾卒業。…
…岩崎弥之助(1851‐1909),小弥太(1879‐1945)は三菱の2代,3代総帥であったが,東洋古陶磁,古画を中心に集め,国宝〈曜変天目茶碗〉や《源氏物語図屛風》(宗達筆)に代表される質の高いコレクションを築き,今日では東京世田谷の静嘉堂文庫に所蔵されている。このほか関西の実業家でも,大阪の藤田伝三郎(1841‐1912),平太郎による《紫式部日記絵巻》や〈曜変天目茶碗〉など古書画,茶道具を中心とする収集(現,藤田美術館),兵庫の酒造家,嘉納治兵衛(1862‐1951)による中国古銅器,古陶磁を主体とする収集(現,白鶴美術館)などが知られる。また,住友家が精選して収集した中国古銅器が住友博古館に蔵され,根津,白鶴,住友の所蔵品を併せると,量質ともに世界でも最も高度な中国古銅器のコレクションとなる。…
…1881年1月に藤田伝三郎を社主として,その実兄藤田鹿太郎,久原庄三郎の3名が出資して設立された企業。伝三郎は長州出身,酒造業者の四男として生まれた。…
…明治初期に大阪の政商藤田組が長州閥の井上馨と贋札を製造したという疑惑事件。1878年末以来各地で贋札が発見され,手代の密告から1879年9月藤田組幹部の藤田伝三郎,中野梧一が犯人として逮捕された。藤田組は長州藩奇兵隊出身の藤田伝三郎と久原庄三郎らが創立した商社で,長州閥とくに井上の庇護により急成長した。…
※「藤田伝三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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