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藤田伝三郎 ふじたでんざぶろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤田伝三郎
ふじたでんざぶろう

[生]天保12(1841).5.15. 長州
[没]1912.3.30. 大阪
長州藩閥と結びついた明治の典型的な政商奇兵隊隊員として活躍後,陸軍御用商人となり,軍靴製造や西南戦役における政府軍用達によって巨利を博し,1881年藤田組を設立。井上馨との結びつきにより政商として活躍し,1884年官営小坂鉱山払い下げを受けた。小坂鉱山の経営は不調であったが,その事後処理をまかされた甥の久原房之助の手により銅山として再建された。 1885年には大阪商法会議所会頭となり,大阪財界の指導者として活躍。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

藤田伝三郎

長州藩・萩の造り酒屋に生まれ、尊皇攘夷運動に加わったとされる。明治維新後の1869(明治2)年ごろ、大阪に移った。軍靴製造を始めた後、建設業や鉱山業にも事業を広げて富をなし、財閥をつくった。大阪商法会議所の第2代会頭を務めるなど、関西財界の重鎮となった。

(2017-09-13 朝日新聞 朝刊 山口・1地方)

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百科事典マイペディアの解説

藤田伝三郎【ふじたでんざぶろう】

明治の実業家。長州萩の豪商の子。奇兵隊に入り倒幕運動に奔走。維新後藤田伝三郎商社を設立,軍靴や被服などを手がけ,西南戦争で巨利を得た。井上馨など長州系の政治家と結び政商的活動を行った。
→関連項目藤田美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤田伝三郎 ふじた-でんざぶろう

1841-1912 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)12年5月15日生まれ。久原庄三郎(くはら-しょうざぶろう)の弟。維新後,大阪で軍靴を製造,陸軍省の用達商となり,西南戦争で巨利をえる。明治12年贋札(がんさつ)事件で逮捕されるが無罪となる。14年藤田組をおこし,小坂鉱山などを経営。18年大阪商法会議所会頭。明治45年3月30日死去。72歳。長門(ながと)(山口県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤田伝三郎

没年:明治45.3.30(1912)
生年:天保12.5.15(1841.7.3)
明治期の実業家。号は光徳。幼名は六三郎。長門国萩(萩市)の酒造業者の藤田半衛門・亀夫婦の4男。幕末期に志士らとの交流があり,金品,酒食の提供も行った。明治2(1869)年に大阪に上り,軍靴製造業から兵部省用達業を営み,また土木建設業にも進出した。6年から兄の藤田鹿太郎と久原庄三郎も事業に参加した。9年には5年間の約定で,友人の中野梧一のほか鹿太郎,庄三郎の出資も得て藤田伝三郎商社となった。14年には藤田3兄弟の共同出資会社となり,藤田組と改称し,26年には商法の施行に伴い,合名会社藤田組となった。この間,12年に藤田組贋札事件で一時拘留されている(のち無罪)。13年には愛媛県市ノ川のアンチモニー鉱山に投資して鉱山業に参入し,17年には小坂鉱山の払い下げを受ける。20年には大倉組と共同で内外用達会社,日本土木会社を設立して,用達業,土木業を分離し,藤田組はこののち小坂鉱山を中心とした鉱山業を中心に発展していった。関係した事業には,主なもののみでも大阪硫酸製造会社,大湖汽船会社,大阪紡績会社,阪堺鉄道会社,山陽鉄道会社,湊川改修株式会社などがある。晩年には男爵を授けられた。実業に力を注ぐ以上に株式や債券などへの投機が目立ち,いわば虚業家的実業家であった。また書画骨董などへの嗜好も強く,多くの美術品のコレクションを残している。

(佐藤英達)

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大辞林 第三版の解説

ふじたでんざぶろう【藤田伝三郎】

1841~1912) 実業家。藤田組の創立者。萩生まれ。西南戦争で軍需品調達によって巨利を得、長州閥を背景に政商として大阪財界の指導者となった。茶道にいそしみ、その所蔵品を基として藤田美術館が設立された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤田伝三郎
ふじたでんざぶろう
(1841―1912)

藤田組の創始者。長州藩(はぎ)の出身。醸造業を営む家に生まれ、高杉晋作(たかすぎしんさく)の奇兵隊に参加した。明治維新後、陸軍用達業者となり、西南戦争で巨利を得て、1881年(明治14)2人の兄(藤田鹿太郎(しかたろう)、久原庄三郎(くはらしょうざぶろう))とともに藤田組を設立した。この間1879年贋札事件(がんさつじけん)の嫌疑を受け逮捕されたが無罪となった。1884年官営小坂鉱山の払下げを受け、また1889年には岡山県児島湾(こじまわん)の干拓事業の認可を受け、以後この両事業を中心に藤田財閥の形成を図った。また、太湖汽船、大阪紡績、阪堺鉄道(はんかいてつどう)、山陽鉄道などの設立に参加、さらに1885年には大阪商法会議所会頭になるなど、関西財界の重鎮として活躍し、1911年(明治44)には男爵を授けられた。[宇田川勝]
『岩下清周著『藤田翁言行録』(1913・秀英舎)』

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世界大百科事典内の藤田伝三郎の言及

【疑獄】より

…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…

【久原房之助】より

…山口・萩の醸造業者久原庄三郎の四男に生まれる。藤田組の創設者藤田伝三郎は父庄三郎の実弟。慶応義塾卒業。…

【コレクション】より

…岩崎弥之助(1851‐1909),小弥太(1879‐1945)は三菱の2代,3代総帥であったが,東洋古陶磁,古画を中心に集め,国宝〈曜変天目茶碗〉や《源氏物語図屛風》(宗達筆)に代表される質の高いコレクションを築き,今日では東京世田谷の静嘉堂文庫に所蔵されている。このほか関西の実業家でも,大阪の藤田伝三郎(1841‐1912),平太郎による《紫式部日記絵巻》や〈曜変天目茶碗〉など古書画,茶道具を中心とする収集(現,藤田美術館),兵庫の酒造家,嘉納治兵衛(1862‐1951)による中国古銅器,古陶磁を主体とする収集(現,白鶴美術館)などが知られる。また,住友家が精選して収集した中国古銅器が住友博古館に蔵され,根津,白鶴,住友の所蔵品を併せると,量質ともに世界でも最も高度な中国古銅器のコレクションとなる。…

【藤田組】より

…1881年1月に藤田伝三郎を社主として,その実兄藤田鹿太郎,久原庄三郎の3名が出資して設立された企業。伝三郎は長州出身,酒造業者の四男として生まれた。…

【藤田組贋札事件】より

…明治初期に大阪の政商藤田組が長州閥の井上馨と贋札を製造したという疑惑事件。1878年末以来各地で贋札が発見され,手代の密告から1879年9月藤田組幹部の藤田伝三郎,中野梧一が犯人として逮捕された。藤田組は長州藩奇兵隊出身の藤田伝三郎と久原庄三郎らが創立した商社で,長州閥とくに井上の庇護により急成長した。…

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