松村みね子(読み)マツムラ ミネコ

20世紀日本人名事典 「松村みね子」の解説

松村 みね子
マツムラ ミネコ

明治〜昭和期の歌人,翻訳



生年
明治11(1878)年2月10日

没年
昭和32(1957)年3月19日

出生地
東京・麻布三河台

本名
片山 広子(カタヤマ ヒロコ)

旧姓(旧名)
吉田 広子

学歴〔年〕
東洋英和女学校卒

主な受賞名〔年〕
日本エッセイスト・クラブ賞(第3回)〔昭和30年〕「燈火節

経歴
佐佐木信綱に師事し、「心の花」に歌文を発表。旧派歌人的残滓を脱した理知的な歌風樹立。一方、大正初年より鈴木大拙夫人ビアトリスの指導でアイルランド文学に親しみ、松村みね子の筆名で以後翻訳に専念。シングやダンセニイの戯曲を翻訳・刊行し高い評価を得る。また、芥川龍之介の詩「相聞」などの対象として知られ、堀辰雄の「聖家族」「楡の象」のモデルとされる。歌集に「翡翠」「野に住みて」、随筆集に「燈火節」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松村みね子」の意味・わかりやすい解説

松村みね子
まつむらみねこ
(1878―1957)

歌人、翻訳家。東京生まれ。本名片山広子。東洋英和女学校卒業。1896年(明治29)佐佐木信綱(のぶつな)に入門。作品を『心の花』に発表、上田敏(びん)、森鴎外(おうがい)、坪内逍遙(しょうよう)らに才能を認められた。菊池寛は「わが金蘭簿(きんらんぼ)中、最も秀(すぐ)れた日本女性」とその人柄を賞した。歌壇に超然として、純粋な歌境に沈潜した。歌集『翡翠(かわせみ)』(1916)出版後、アイルランド文学の訳業に専念し、その面での開拓者になった。1935年(昭和10)ふたたび歌に帰り、歌集『野に住みて』(1954)を本名で出版。また随筆『燈火節』(1954)がある。

 をとこ一月(ひとつき)のはたらきより高価(たか)ければ漆(うるし)の衣は見つつさびしき
[伊藤嘉夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村みね子」の解説

松村みね子 まつむら-みねこ

1878-1957 明治-昭和時代の歌人,翻訳家。
明治11年2月10日生まれ。佐佐木信綱に師事し,「心の花」に歌文を発表した。明治32年片山貞次郎(のち日銀理事)と結婚。アイルランド文学をまなび,「シング戯曲全集」などの翻訳にあたる。芥川竜之介,堀辰雄らと親交があった。昭和32年3月19日死去。79歳。東京出身。東洋英和女学校卒。本名は片山広子。旧姓は吉田。歌集に「翡翠(かわせみ)」,随筆集に「灯火節」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松村みね子」の解説

松村 みね子 (まつむら みねこ)

生年月日:1878年2月10日
明治時代-昭和時代の歌人;翻訳家
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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