上田敏(読み)ウエダビン

デジタル大辞泉 「上田敏」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐びん〔うへだ‐〕【上田敏】

[1874~1916]英文学者・詩人。東京の生まれ。号は柳村。西欧の文学、特にフランス象徴詩の名訳で知られる。訳詩集海潮音」、詩・訳詩集「牧羊神」、小説「うづまき」など。

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精選版 日本国語大辞典 「上田敏」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐びん【上田敏】

  1. 詩人、英文学者。号は柳村。象徴詩運動の先駆者著作「みをつくし」「詩聖ダンテ」、訳詩集「海潮音」、小説「うづまき」など。明治七~大正五年(一八七四‐一九一六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田敏」の意味・わかりやすい解説

上田敏
うえだびん
(1874―1916)

詩人、評論家、英文学者。東京生まれ。号柳村(りゅうそん)。第一高等中学在学中から文学サークル「無名会」でその早熟な文才を発揮、1894年(明治27)に平田禿木(ひらたとくぼく)の紹介で『文学界』同人となり、学芸の世界に目を注ぐ美的傾向を示した。同じ同人の島崎藤村(しまざきとうそん)の人生凝視の姿勢と違い、芸術のための芸術を志向する敏の活動は、東京帝国大学英文学科の学生時代にも顕著で、『帝国文学』の編集委員を務め、ケーベル小泉八雲(こいずみやくも)に学び学識を深めた。1897年大学卒業後は高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)で英語を教え、『耶蘇(やそ)』(1899)を処女刊行、『文芸論集』『詩聖ダンテ』『最近海外文学』(ともに1901)と多彩な西欧文学紹介の著作をまとめた。1902年(明治35)に雑誌『芸苑(げいえん)』を出すが1号で廃刊、森鴎外(もりおうがい)と合流する形で『芸文』『万年艸(まんねんぐさ)』を出し、訳詩の試みも増えた。それらの訳詩は、フランス高踏派、象徴派のみごとな紹介ともなった訳詩集『海潮音』(1905)にまとめられている。その間、29歳の若さ夏目漱石(なつめそうせき)とともに東京帝国大学講師となったが、1907年に外遊、翌1908年京都帝国大学に迎えられ、のち教授となった。L・N・アンドレーエフの小説『心』の翻訳もあるが、1910年に『国民新聞』に連載した唯一の小説『うづまき』は、敏の到達した享楽主義を示す思想的自伝ともなっている。没後『現代の芸術』や訳詩集『牧羊神』が出た。

[中島国彦 2018年9月19日]

『『定本上田敏全集』全10巻(1978~1981・教育出版センター)』『安田保雄著『上田敏研究』増補新版(1969・有精堂出版)』


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百科事典マイペディア 「上田敏」の意味・わかりやすい解説

上田敏【うえだびん】

評論家,翻訳家,詩人。初期の号は柳村。東京築地生れ。東大英文科卒。東大在学中に《帝国文学》創刊に参加,誌上で海外文学を紹介し,以後,《文芸論集》など,評論集,訳文集を次々に刊行。《明星》でも活躍した。1905年刊行の訳詩集《海潮音》は日本象徴詩運動の先駆をなした。ほかに翻訳詩集《牧羊神》,《上田敏詩集》,小説《うづまき》がある。
→関連項目蒲原有明邪宗門象徴主義太陽パンの会文学界三田派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上田敏」の意味・わかりやすい解説

上田敏
うえだびん

[生]1874.10.30. 東京
[没]1916.7.9. 東京
詩人,評論家,英文学者。父絅二 (けいじ) は幕末の儒者乙骨耐軒 (おつこつたいけん) の次男。 1889年第一高等学校に入学,『文学界』同人に参加,94年東京大学英文科に進み,『帝国文学』の創刊に参画,創刊号からフランス象徴詩などの海外文学の紹介を精力的に続けた。 97年東大卒業。東京高等師範教授,東大講師などを歴任,かたわら『明星』や『芸文』 (のち『万年艸』) ,『芸苑』などの雑誌に西洋文学の翻訳や芸術のあらゆる分野にわたる評論を発表,親交のあった森鴎外とともに耽美主義思潮の有力な指導理論家と目された。特にフランスの高踏詩,象徴詩の翻訳をまとめた『海潮音』は詩壇に大きな影響を与えた。 1907~08年アメリカ,フランスなどを訪れ,09年京都大学教授。鴎外とともに『三田文学』『スバル』の顧問として活躍,小説『うづまき』 (1910) は自己の分身である主人公を通じて,幼時の回想や人生観,芸術観を語った長編で,耽美主義理論の具体化として注目された。著書『文芸論集』 (01) ,美文集『みをつくし』 (01) ,訳詩集『牧羊神』 (20) など。『上田敏全集』 (9巻,31) ,『定本上田敏全集』 (10巻,81) がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「上田敏」の意味・わかりやすい解説

上田敏 (うえだびん)
生没年:1874-1916(明治7-大正5)

英・仏文学者,詩人,評論家。初期には柳村と号した。旧幕臣の子で東京築地の生れ。一高を経て東大英文科卒。東京高等師範学校教授,東大講師,京大教授を歴任。一高在学中,島崎藤村らの《文学界》同人となり,東大入学とともに《帝国文学》の創刊に参画,第1期の編集委員となり,同誌上にヨーロッパ各国の文芸思潮の紹介を連載し,評伝《耶蘇(ヤソ)》(1899)以下,訳文集《みをつくし》,評論集《最近海外文学》《文芸論集》《詩聖ダンテ》(以上1901)などを相ついで刊行,文壇に新知識をもたらした。この後,フランス象徴主義の移植を図り,雑誌《明星》を中心に,P.ベルレーヌ,C.ボードレールらの作品を意欲的に翻訳紹介し,1905年,不朽の名訳詩集《海潮音》を刊行,以後の詩歌壇に決定的な影響を与えた。ほかに,審美的な人生観・芸術観を語った自伝的な小説《うづまき》(1910),《海潮音》以後のいっそう柔軟な訳詩を収めた翻訳詩集《牧羊神》(1920)などがある。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「上田敏」の解説

上田 敏
ウエダ ビン

明治期の詩人,評論家,英文学者 京都帝国大学教授。



生年
明治7年10月30日(1874年)

没年
大正5(1916)年7月9日

出生地
東京・築地

別名
号=柳村

学歴〔年〕
東京帝大文科大学英文科〔明治30年〕卒

経歴
東京高師講師、東京帝大講師、京都帝大教授を歴任し、英文学を講じる。一高在学中「文学界」同人、東京帝大では「帝国文学」の第1期編集委員となる。ヨーロッパ各国の文芸思想の紹介につとめ、評伝「耶蘇」、訳文集「みをつくし」、評論集「最近海外文学」「文芸論集」「詩聖ダンテ」などを発表。フランス象徴主義の日本への移植をはかり、雑誌「明星」においてベルレーヌ、ボードレールの作品を翻訳。明治38年に不朽の訳詩集「海潮音」を刊行、以後の詩歌壇に大きな影響を与えた。40〜41年アメリカ、フランスに渡る。他に小説「うづまき」、詩集「牧羊神」や「伊曽保物語考」、「定本上田敏全集」(全10巻 教育出版センター)などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田敏」の解説

上田敏 うえだ-びん

1874-1916 明治-大正時代の外国文学者,詩人。
明治7年10月30日生まれ。帝国大学在学中に「帝国文学」の創刊に参加し,小泉八雲にまなぶ。夏目漱石とともに東京帝大英文科講師をつとめ,のち京都帝大教授。「明星」などに訳詩,評論を発表し,明治38年訳詩集「海潮音」を刊行。マラルメ,ボードレールらを紹介した。大正5年7月9日死去。43歳。東京出身。号は柳村。
【格言など】山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ。ああわれひとと尋(と)めゆきて,涙さしぐみ,かへりきぬ。山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ(「海潮音」)

上田敏 うえだ-さとし

1932- 昭和後期-平成時代の医学者。
昭和7年1月3日生まれ。38年東大病院にリハビリテーション部を設立。ニューヨーク大に留学し,59年東大教授となる。平成4年帝京大教授。日本リハビリテーション医学会会長をつとめた。福島県出身。東大卒。著作に「リハビリテーション」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「上田敏」の解説

上田敏
うえだびん

1874.10.30~1916.7.9

明治期の外国文学者・評論家・詩人。別号柳村。東京都出身。東京英語学校卒業後に一高入学。在学中からイギリス,ギリシアの詩に親しむ。東大卒。1894年(明治27)「文学界」同人となり,「帝国文学」発刊にも参画。のち東京帝国大学英文科講師をへて,京都帝国大学教授となる。耽美主義系の文学者に崇敬され,パンの会や「スバル」の理論的指導者の1人として後進を指導。1905年の訳詩集「海潮音(かいちょうおん)」は象徴派を紹介し,詩壇に多大な影響を与えた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「上田敏」の解説

上田敏
うえだびん

1874〜1916
明治・大正時代の英仏文学者・詩人・評論家
号は柳村。東京の生まれ。東大英文科卒。晩年京大教授となる。ヨーロッパ文芸の翻訳紹介に大きな業績があり,特に1905年訳詩集『海潮音』を刊行し,象徴詩の確立に大きく寄与した。

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367日誕生日大事典 「上田敏」の解説

上田 敏 (うえだ びん)

生年月日:1874年10月30日
明治時代;大正時代の詩人;評論家;英文学者
1916年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上田敏の言及

【海潮音】より

上田敏の訳詩集。1905年(明治38)本郷書院刊。…

【ダンテ】より

… ダンテの作品は,約言すれば,政治と文学との激しい葛藤のなかで生み出された。日本においては,明治時代から《新生》と《神曲》を中心に,かなりの翻訳と紹介が行われてきたが,その傾向を大別すると,第1は上田敏を頂点とする純文学的動機によるもの,第2は内村鑑三,正宗白鳥ら宗教的関心に基づくもの,第3は阿部次郎が築こうとした哲学的・倫理的傾向のもの,そして第4にダンテの文学を政治と文学の葛藤の角度から(とくに第2次世界大戦下の日本の状況と照らし合わせて)とらえようとしたもの(矢内原忠雄,花田清輝,杉浦明平ら)となる。《神曲》の翻訳としては,文章表現と文体に問題は残るが,最も原文に忠実で正確なものとして,山川丙三郎訳を挙げねばならない(1984年現在)。…

【伝説】より

… そこで,両者のこうした違いに着目して,19世紀初頭にドイツのグリム兄弟は〈昔話は詩的であり,伝説は歴史的である〉と説いた。一方,日本の研究者で早くにその種の見解を示したのは上田敏である。Folkloreの訳語に〈俗説学〉の語を用いた。…

【フランス文学】より

…彼らはまた,その頃《懺悔録》と訳されていたルソー《告白》の影響もあって,文学は内心の吐露であるべしとも考えていた。一方,詩の領域では,主として上田敏の紹介を通してボードレール,ベルレーヌの作品が広く知られ,明治末期から大正にかけて,薄田泣菫,蒲原有明,北原白秋,萩原朔太郎らが,象徴という手段を通して,内的な感情・情緒を表現しようと試みた。 明治・大正を通じて,フランス文学を最も深く呼吸した作家は永井荷風であろう。…

【万年艸】より

…《芸文》の後身。森鷗外が中心であるが,鷗外・上田敏の芸術サークルを背景とする。呼び物であった合評(近松《心中万年草》など)のほか,評論,詩歌,考証,翻訳に優れたものがある。…

【民謡】より

…【徳丸 吉彦】
【日本】

[名義]
 日本で民謡の語が一般化したのは近代以降である。明治中期,作家の森鷗外や英文学者上田敏などが民謡の語を使用したのは,ドイツ語のフォルクスリード,英語のフォーク・ソングの訳語としてで,国文学者の志田義秀は1906年に発表した《日本民謡概論》で,民謡とは技巧詩・芸術詩を意味するクンストポエジーKunstpoesieに対するフォルクスポエジーVolkspoesieすなわち民間の俗謡の意であると述べている。以来,前田林外編《日本民謡全集》(1907),童謡研究会編《日本民謡大全》(1909)などが出て,民謡の語は徐々に普及するようになった。…

※「上田敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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