林元美(読み)はやし・げんび

朝日日本歴史人物事典 「林元美」の解説

林元美

没年:文久1.6.13(1861.7.20)
生年:安永7(1778)
江戸末期の囲碁棋士。11代林門入。父は水戸藩士。本姓舟橋,幼名源治,のちに爛柯堂と称した。天明8(1788)年江戸に出て,10世本因坊烈元に入門。翌年初段。文政2(1819)年六段のとき,10代林鉄元門入の死去により11代門入を継ぎ,御城碁出仕。のち本因坊丈和の名人碁所運動をめぐる家元4家の争い「天保の内訌」に巻き込まれた。嘉永7(1854)年に引退,同時に八段を認められた。能書家で著書も『碁経衆妙』『爛柯堂棋話』など多数。<参考文献>安藤如意『坐隠談叢』

(谷口牧夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林元美」の解説

林元美 はやし-げんび

1778-1861 江戸時代後期の囲碁棋士。
安永7年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士の子。江戸にでて本因坊烈元,元丈の門にまなび,文政2年(1819)林家11世をつぐ。御城碁をつとめ,本因坊丈和の碁所(ごどころ)就任をめぐり丈和と対立した。準名人(8段)。文久元年6月13日死去。84歳。本姓は舟橋。幼名は源治。著作に「碁経衆妙」「爛柯堂(らんかどう)碁話」など。

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