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ドストエフスキー ドストエフスキー Dostoevskii, Fëdor Mikhailovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドストエフスキー
ドストエフスキー
Dostoevskii, Fëdor Mikhailovich

[生]1821.11.11. モスクワ
[没]1881.2.9. ペテルブルグ
ロシアの作家。 16歳でペテルブルグの工兵学校に入り,卒業後陸軍中尉として工兵局に勤務したが1年足らずで退職。 1845年処女作『貧しき人々』を完成,作家的地位を確立した。 49年,空想的社会主義者のサークルペトラシェフスキー・グループに参加したかどで死刑の宣告を受け,処刑直前に減刑されてシベリアに流刑。

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デジタル大辞泉の解説

ドストエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)

[1821~1881]ロシアの小説家。処女作「貧しき人々」で作家として出発。混迷する社会の諸相を背景として、内面的、心理的矛盾と相克の世界を描き、人間存在の根本的問題を追求。20世紀の文学に多大の影響を与えた。作「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」など。

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百科事典マイペディアの解説

ドストエフスキー

ロシアの作家。トルストイとともに19世紀ロシア文学を代表,人間の内面の矛盾を追求して近代小説に新しい可能性を開いた。モスクワの医師の家に生まれ,16歳のときペテルブルグの工兵士官学校に入り,卒業して工兵局に勤めるが1年で退職,処女作《貧しい人々》(1846年)の成功を機に文筆活動に専念する。
→関連項目椎名麟三シクロフスキー心理小説ペトロパブロフスク要塞ベリンスキーペローフ

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デジタル大辞泉プラスの解説

ドストエフスキー

ドイツの筆記具ブランドモンブランの筆記具の商品名。「作家シリーズ」。ロシアの小説家、ドストエフスキーイメージ万年筆ボールペンシャープペンシルがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ドストエフスキー【Fyodor Mikhailovich Dostoevskii】

1821‐81
ロシアの小説家。慈善病院の医師の次男としてモスクワに生まれた。17歳でペテルブルグの陸軍中央工兵学校に入学。在学中,シェークスピアラシーヌシラーホフマンバルザックなど西欧文学を読みふける。1839年父が領地の農奴に殺された。父の時代錯誤者的性格を見ぬいていたが,事件については語っていない。43年卒業し工兵団製図局に勤務するが,文学への志を捨てがたく,退役し,《貧しい人たちBednye lyudi》(1846)を書く。

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大辞林 第三版の解説

ドストエフスキー【Fyodor Mikhailovich Dostoevskii】

1821~1881) ロシアの小説家。一九世紀後半の無神論的風潮の中で、神の問題を中心に人間存在の根本問題を独自の対話的方法で検討し、二〇世紀文学に大きな可能性を開示した。代表作「地下室の手記」「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドストエフスキー
どすとえふすきー
Фёдор Михайлович Достоевский Fyodor Mihaylovich Dostoevskiy
(1821―1881)

ロシアの小説家。トルストイと並んで19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。「魂のリアリズム」とよばれる独自の方法で人間の内面を追求、近代小説に新しい可能性を開いた。農奴制的旧秩序が資本主義的関係にとってかわられようとする過渡期のロシアで、自身が時代の矛盾に引き裂かれながら、その引き裂かれる自己を全的に作品世界に投入しえた彼の文学は、異常なほどの今日性をもって際だっており、20世紀の思想・文学に深刻な影響を与えている。[江川 卓]

生い立ち

1821年10月30日(新暦11月11日)モスクワのマリヤ貧民救済病院の医師の次男に生まれ、教育熱心だが気むずかしい父と、商家の出身で敬虔(けいけん)なキリスト教徒であった母のもとで育った。幼時から都会的環境に親しむ機会が多く、このことはロシアの都市文学の先駆者としての彼の風貌(ふうぼう)を決定づけた。反面、彼が10歳のとき父がトゥーラ県に農奴6人の持村を手に入れ、そこでの幼時体験は、小品『百姓マレイ』(1876)にみられるような農民理想化の傾向、後年の「土壌主義」(ロシア・メシアニズム)の主張の素地を形づくることになる。18歳のときには、父がこの持村の農奴の恨みを買って惨殺される事件もあり、これは最後の長編『カラマーゾフの兄弟』の父親殺しの主題にまでつながる深刻な衝撃を作家に与えたとみられている。[江川 卓]

新しいゴーゴリの登場

モスクワの私塾で学んだのち、17歳でペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)の工兵士官学校に入るが、学生時代はプーシキン、ゴーゴリをはじめとするロシア文学、西欧の古典、現代作家の作品を耽読(たんどく)し、とくにシラーに熱中した。卒業後は工兵廠(しょう)に勤めるが、勤務には「ジャガイモのように」飽き飽きして1年ほどで退職、たまたま翻訳したバルザックの『ウージェニー・グランデ』の好評に力を得て職業作家を志し、処女作『貧しき人々』(1845)を書き上げた。都会の裏町の「小さな人間たち」の社会的悲劇、彼らのなかに潜む人間性の輝き、心理的相克を描き出したこの中編は、写実的ヒューマニズムを掲げていた当時の批評界の大立て者ベリンスキーに認められ、24歳の無名作家に一躍「新しいゴーゴリ」の名声をもたらした。続いて発表した『分身』(1846)、『プロハルチン氏』(1846)、『主婦』(1847)などは、ベリンスキーらから心理主義への病的な傾斜を指摘されて不評に終わったが、これらの作品にもすでに後年の大作家に固有のテーマ、思想、方法などの原型がみてとれる。とりわけ初期作品を通じてみられる独自のパロディー感覚、文体への強い関心などは注目に値する。[江川 卓]

死の体験と流刑

ベリンスキーとの不和と前後して、空想的社会主義思想への関心をみせ始め、『白夜』(1848)、『ネートチカ・ネズワーノワ』(1849)などの佳編で人間情熱の諸相を探る一方、フーリエの思想を奉ずるペトラシェフスキーのサークルに接近していった。この時期の革命的青年たちとの交流は、生涯にわたって彼の創作に大きな痕跡(こんせき)を残すことになる。1849年春、彼は他のサークル員とともに逮捕されて、同年末死刑の判決を受けるが、セミョーノフ練兵場で銃殺になる直前、「皇帝の特赦」と称して懲役刑に切り替えられた。死と間近に対決したこのときの異常な体験は、のちに『白痴』や『罪と罰』で生々しく物語られる。シベリアのオムスク監獄で過ごしたその後の4年間は、不幸な囚人たちのうちにロシアの民衆を発見する過程であったと同時に、スラブ的神秘主義、苦悩と忍従の思想への傾斜を深めさせた、彼の思想的転身、いわゆる「信念の更生」の時期としても記憶される。シベリアへの途次、トボリスクでデカブリストの妻たちから贈られたロシア語訳『新約聖書』は、彼の生涯の愛読書となった。出獄後5年間は中央アジアのセミパラチンスクで兵卒として勤務し、この間、税務官吏の未亡人マリヤ・イサーエワと結婚、『伯父さまの夢』(1859)、『ステパンチコボ村とその住人』(1859)などブラック・ユーモア的な心理小説を発表。59年末、10年ぶりに首都ペテルブルグへの帰還を許されると、農奴解放を前に高揚した社会的空気のなかで、兄ミハイルとともに雑誌『時代(ブレーミヤ)』(1861~63)を創刊、時事問題、文学論に筆を振るうかたわら、シベリアの獄中体験に基づくユニークな作品『死の家の記録』(1861~62)と長編『虐げられた人々』(1861)を発表した。『罪と罰』のスビドリガイロフの前身ともいうべきワルコフスキー公爵の悪魔的な影を背景に、弱い善意の人間たちのもつれ合った愛の形をメロドラマ的に展開させたこの長編は、公爵の隠し子で異様な魅力をたたえた美少女ネルリの死で縁どられている。[江川 卓]

ヨーロッパ旅行と賭博癖

その後の数年間は、農奴解放後に訪れた政治的反動、社会的幻滅の時代として、また彼の個人生活のうえでの重大事件、つまり、1862年の最初の西欧旅行(63年の『夏象冬記』にその印象が語られる)、愛人スースロワとの異常な恋愛体験(『賭博(とばく)者』にその一端が描かれる)、64年には妻と兄の死などが重なった時期として注目される。彼の文学上の転機をなし、後期の大作群を解く鍵(かぎ)と一般に認められている中編『地下室の手記』(1864)がこの時期に書かれたのは偶然ではない。『時代』の廃刊に続いて刊行された雑誌『世紀(エポーハ)』の経営失敗などから、彼の個人生活はなかなか安定せず、67年、中編『賭博者』(1866)の口述が縁で知り合った速記者アンナ・スニートキナと再婚して以後は、債鬼の追及を逃れて4年間の国外生活を送らねばならなかった。てんかんの持病に悩まされ続け、賭博癖が輪をかける逼迫(ひっぱく)した生活のなかから、彼の名を不朽のものにした大作『罪と罰』(1866)、『白痴』(1868)、『悪霊』(1871~72)、中編『永遠の夫』(1870)などが次々と生み出されていったのは驚異である。[江川 卓]

円熟の晩年

外遊から帰って比較的落ち着いた生活に恵まれた晩年の10年間には、長編『未成年』(1875)と、彼の生涯の思索の集大成ともいうべき『カラマーゾフの兄弟』(1879~80)のほか、1876年以降は個人雑誌『作家の日記』を刊行して、時事的随想や文芸評論のほか、『柔和な女』(1876)、『おかしな男の夢』(1877)などのユニークな中編をここに発表した。死の半年ほど前に行ったプーシキン記念講演は、スラブ派、西欧派の双方から熱狂的な歓迎を受け、不遇であった彼の晩年に花を添えた。1881年1月28日(新暦2月9日)肺動脈破裂で死去。[江川 卓]

ドストエフスキー的世界の展開

彼の後期の大作群は、時代の先端的な社会的、思想的、政治的問題、さらには文化や科学の状況にまで鋭敏に反応しながら、同時に人間存在の根本問題を提起しえている点に特色が求められる。とくに注目されるのは、理論的殺人者ラスコーリニコフにおける人間を追求した『罪と罰』以降、調和と和解をもたらすべき「美しい人」ムイシキン公爵の敗北を描いた『白痴』、革命の思想と組織の病理をついた『悪霊』、青年の野心の生態を扱った『未成年』、父親殺しを主題に神と人間の問題に正面から取り組んだ『カラマーゾフの兄弟』と、各作品が取り上げる題材を異にしながらも、総体としては内面的な統一性で強く結ばれている点だろう。ここには題材を超えた神話的、フォークロア的世界観の存在も感得され、「ドストエフスキー的世界」ということが語られるのもこの意味においてである。『罪と罰』の両極的な人物像であるソーニャとスビドリガイロフが、それぞれ『白痴』のムイシキン、『悪霊』のスタブローギンへと受け継がれ、さらに『カラマーゾフの兄弟』におけるゾシマ長老とイワンの対決に発展するのなどはその一例で、彼の作品世界の人物たちは、この世に生きる者が必然的に負わねばならない「肯定と否定」の相克を作者自身とともに体現している趣(おもむき)がある。この相克の生々しさを、いわゆる「ポリフォニックなロマン」の形式のなかにそのまま再現しえたところに、ドストエフスキーの天才を認めるべきであろう。[江川 卓]

絶えざる再評価と影響力

彼がロシアだけでなく世界の文学、思想に与えた影響はきわめて広範だが、とくに注目されるのは時代の経過とともに彼の文学が絶えず「再発見」されてきたことである。19世紀末から20世紀初頭のロシアで、メレジコフスキー、ローザノフ、シェストフ、ボルインスキー、イワーノフ、ベルジャーエフらによって、彼の作品の哲学的、宗教的意味が明らかにされ、それはニーチェからカミュ、サルトルに至る実存主義的思想の系譜に引き継がれた。他方、1920年代にロシア・フォルマリズム、とくにバフチンがドストエフスキーの創作に「ポリフォニー」と「カーニバル」の原理を発見したことは、1960年代の構造主義的思想傾向の台頭とともに再評価され、現代の記号論的文学理解にも大きな影響を与えている。ソ連ではスターリン時代にドストエフスキーがほとんど禁書同然になる一時期があったが、50年代後半以降は研究も盛んで、72年からはもっとも完璧(かんぺき)なアカデミー版30巻全集の刊行も行われている。日本では1892~93年(明治25~26)に内田魯庵(うちだろあん)が『罪と罰』を訳して以来、第二次世界大戦後の米川(よねかわ)正夫、小沼文彦の個人訳全集に至るまで、主要作品については10種近くもの翻訳が出そろっており、世界でももっともドストエフスキーが広く読まれている。明治期の長谷川二葉亭(はせがわふたばてい)、北村透谷(とうこく)、島崎藤村(とうそん)、大正期の白樺(しらかば)派の作家たち、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)らに彼の影響をみいだすことは容易であり、昭和10年代のシェストフの「不安の哲学」の流行を経て、小林秀雄(ひでお)、埴谷雄高(はにやゆたか)らの独自なドストエフスキー観も生み出された。戦後は、いわゆる第一次戦後派の文学がドストエフスキーの大きな影を負っているといえる。[江川 卓]
『米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』全20巻(1969~74・河出書房新社) ▽小沼文彦訳『ドストエフスキー全集』全20巻・別巻1(1963~91・筑摩書房) ▽『ドストエフスキー全集』27巻・別巻1(1978~80・新潮社) ▽H・トロワイヤ著、村上香住子訳『ドストエフスキー伝』(1982・中央公論社) ▽小林秀雄著『ドストエフスキイ全論考』(1981・講談社) ▽埴谷雄高著『ドストエフスキイ全論集』(1979・講談社) ▽江川卓著『ドストエフスキー』(岩波新書) ▽中村健之介著『ドストエフスキー・生と死の感覚』(1984・岩波書店) ▽中村健之介著『ドストエフスキーと女性たち』(1984・講談社) ▽清水孝純著『ドストエフスキー・ノート「罪と罰」の世界』(1996・九州大学出版会) ▽小沼文彦著『随想ドストエフスキー』(1997・近代文芸社)』

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世界大百科事典内のドストエフスキーの言及

【カラマーゾフの兄弟】より

ドストエフスキーの最後の長編小説。1880年刊。…

【作家の日記】より

…ロシアの作家ドストエフスキーの時事評論集。交友回想記や短編小説なども含む。…

【詩学】より

…無礼講的祝祭カーニバルでは聖俗,貴賤,死生等の対立が一挙に止揚され,抑圧された人間性が解放される。人間に本来的なものであるこのカーニバル精神はカーニバルの消滅とともに小説の言葉のなかに入り込むが,主人公たちの声が溶けあわぬポリフォニーを形成するドストエフスキーの小説はその典型であった。テキストを生成として考え,同時的連関と歴史的発展の見通しにおいてとらえようとするバフチンのテキスト理論は,フォルマリズムのそれとともに現代詩学の基本概念を提供した。…

【罪と罰】より

…ロシアの作家ドストエフスキーの長編小説(1866)。〈生きとし生けるもの〉の世界からの強い隔絶感にとらえられた青年ラスコーリニコフが,破壊欲に誘われて金貸の老婆とその妹を斧で殺す。…

【ニヒリズム】より

…彼がもっと広い一般的な意味でこの語を用いはじめたのは,おそらくブールジェの《現代心理試論》(1883)からデカダンスについて学んだことに関係して,86年夏以来のことである(いわゆる〈受動的ニヒリズム〉)。彼はさらに同年末以降,ドストエフスキーの《主婦》《虐げられた人々》《死の家の記録》《悪霊》などをフランス語訳で読み,地下的・流刑囚的生活者の力強い意志,およびキリスト者の病的な心理について学ぶところがあった。かくして晩年のニーチェの精神史的洞察によれば,人々がプラトンのイデア論以来の形而上学的伝統を通じて,これまで真の実在だと信じこまされてきた超越的な最高の諸価値,特にキリスト教の道徳的諸価値が,今やその有効性を失って虚無化しはじめているが,たとえ根本的には虚無であったにしても,そういう超越的諸価値こそが真の実在だと信じられて,それによって人々がこれまで秩序ある共同生活を送ってきたことこそが,西洋の歴史を根本的に規定してきた論理であると考え,そういう西洋の歴史の論理そのものを彼はニヒリズムの本質と見る。…

【ペトラシェフスキー事件】より

…19世紀ロシアの政治的事件。ドストエフスキーが加わったことで有名。1844年ころから外務省の翻訳官であったペトラシェフスキーMikhail Vasil’evich Petrashevskii(1821‐66)の家に若いインテリゲンチャが集まるようになり,彼らは45年秋から〈金曜会〉と称して,毎週集まって議論をした。…

※「ドストエフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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