日本大百科全書(ニッポニカ) 「林八右衛門」の意味・わかりやすい解説
林八右衛門
はやしはちえもん
(1767―1830)
江戸時代の名主。上野(こうずけ)国(群馬県)那波(なわ)郡前橋藩領東善養寺(ひがしぜんようじ)村百姓の子として生まれる。父の死、母の再婚で寺に預けられ手習いをする。15歳のとき寺を去り本家に寄居、その養女と結婚して分家。25歳で同村名主となるが、借財により家屋を失い江戸の旗本屋敷に奉公する。また復興して名主となる。藩政の改革にあたり勧農野廻(のまわ)り役を命じられ、信濃(しなの)国(長野県)で引越(ひっこし)百姓(藩管理のもとに開発・耕作を行う)を探す。1821年(文政4)増徴策に対し難渋願書を提出、小前(こまえ)百姓らの一揆(いっき)を中止させるべく説得に尽力したが、発頭人とされて永牢(えいろう)刑の処分を受け、牢内で『勧農教訓録』3巻を書き、30年(天保1)牢死。
[深谷克己]
『深谷克己著『八右衛門・兵助・伴助』(1978・朝日新聞社)』