柏原八幡神社(読み)かいばらはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「柏原八幡神社」の解説

柏原八幡神社
かいばらはちまんじんじや

[現在地名]柏原町柏原

江戸時代の柏原町の東方、入船いりふね(通称八幡山)山頂鎮座祭神は誉田別命・息長足姫命・多紀理比売命・多紀都比売命・市杵島比売命。旧県社。かつては垂迹神の八幡大菩薩も祀られていた(柏原八幡神社文書)。山城石清水いわしみず八幡宮の別宮として平安時代中期に勧請された。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)によって同宮領安田やすだ園と当社の勧請の経緯が知られる(→安田園・柏原庄。連年にわたって旱魃・病患が絶えないのは八幡大菩薩をないがしろにしたからであるという託宣があったという治安三年(一〇二三)が、勧請の年ではないかと思われる。柏原庄鎮守で、中世には柏原(庄)別宮八幡宮・柏原八幡宮あるいは八幡山などとよばれた。戦国時代には近在の土豪である赤井幸家、吉積正次・正綱、芦田直家らが田地寄進しており(永禄七年一〇月七日「赤井幸家下地寄進状」・同八年一一月「吉積正次田地寄進状」・同一〇年九月一五日「吉積正綱下地寄進状」・元亀二年正月一九日「芦田直家田地寄進状」柏原八幡神社文書)、また遠く尾張国羽栗はぐり郡や近江国北郡等の住人の寄進もみられるので(天正一一年一〇月二四日「武山吉次田地寄進状」・同一二年正月一五日「中嶋弥九郎田地寄進状」同文書)、当宮の信仰圏はかなり広いものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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