柏戸剛(読み)カシワドツヨシ

デジタル大辞泉 「柏戸剛」の意味・読み・例文・類語

かしわど‐つよし〔かしはど‐〕【柏戸剛】

[1938~1996]力士。第47代横綱山形県出身。本名富樫とがし剛。昭和36年(1961)大鵬たいほうとともに横綱に昇進し「柏鵬はくほう時代」を築いた。優勝5回。引退後、年寄鏡山。→第46代横綱朝潮 →第48代横綱大鵬

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「柏戸剛」の解説

柏戸 剛
カシワド ツヨシ

昭和期の力士(第47代横綱)



生年
昭和13(1938)年11月29日

没年
平成8(1996)年12月8日

出生地
山形県東田川郡山添村荒俣(現・櫛引町桂荒俣)

本名
富樫

別名
年寄名=鏡山 剛(カガミヤマ ツヨシ)

学歴〔年〕
鶴岡南高中退

主な受賞名〔年〕
スポーツ功労者〔平成8年〕,山形県民栄誉賞〔平成9年〕

経歴
昭和29年伊勢ノ海部屋から初土俵。33年19歳で入幕、勝ち進んで35年9月場所で大関昇進。36年9月横綱に推挙され、同時に横綱となった大鵬とならんで“柏鵬時代”をつくり、大相撲の人気をもりあげた。幕内通算599勝240敗140休の成績。横綱在位47場所。優勝回数5回。44年名古屋場所で引退、年寄鏡山を襲名。57年1月審判部長となり、平成6年初場所限りで退任。のち指導普及部副部長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「柏戸剛」の意味・わかりやすい解説

柏戸剛
かしわどつよし
(1938―1996)

第47代横綱。山形県東田川郡山添(やまぞえ)村(現鶴岡(つるおか)市)生まれ。本名富樫(とがし)剛。1954年(昭和29)9月伊勢ノ海部屋から初土俵を踏み、58年入幕、60年大関、翌61年9月場所後に大鵬(たいほう)とともに横綱に昇進。188センチメートル、140キログラムの敏捷(びんしょう)な取り口で土俵上のサラブレッド異名をとり、好敵手大鵬との対戦ではファンの人気を二分し、「栃若時代」についで「柏鵬時代(はくほうじだい)」の黄金時代を築いた。優勝5回(全勝1回)、1969年引退し年寄鏡山を襲名、部屋を再興関脇(せきわけ)多賀竜(たがりゅう)(現鏡山親方)を優勝させるなど、相撲界に貢献した。

[向坂松彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柏戸剛」の意味・わかりやすい解説

柏戸剛
かしわどつよし

[生]1938.11.29. 山形
[没]1996.12.8. 東京
第 47代横綱。本名富樫剛。 1954年9月初土俵。 1958年9月初入幕。 1961年9月場所後,ライバルの大鵬 (→大鵬幸喜 ) とともに横綱に昇進。昭和 30年代後半に「柏鵬時代」といわれる相撲の黄金時代を築き上げた。大鵬の相撲が相手と四つに組んで守りながら攻めるのに対して,柏戸は立つと同時に相手の前まわしを取って一気に押していく豪快な相撲であった。引退後,年寄鏡山を襲名。鏡山部屋を起こす。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柏戸剛」の解説

柏戸剛 かしわど-つよし

1938-1996 昭和時代後期の力士。
昭和13年11月29日生まれ。昭和29年伊勢ノ海部屋の誘いで秋場所見学に上京し,そのまま入門。33年入幕。立ち合いからの一気の速攻で昇進し,35年大関。36年47代横綱となる。48代横綱大鵬(たいほう)とともに柏鵬(はくほう)時代をきずく。44年引退。優勝5回。鏡山部屋をおこした。平成8年12月8日死去。58歳。山形県出身。本名は富樫剛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「柏戸剛」の解説

柏戸 剛 (かしわど つよし)

生年月日:1938年11月29日
昭和時代の力士(第47代横綱)
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android