柳家 三語楼(初代)
ヤナギヤ サンゴロウ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 山口 慶二
- 別名
- 前名=橘家 右円喬,談洲楼 燕洲
- 生年月日
- 明治8年 3月
- 出身地
- 神奈川県 横浜市
- 学歴
- セント・ジョセフ・カレッジ卒
- 経歴
- 横浜の運送業の家に生まれ、セント・ジョセフ・カレッジを卒業、商館勤めの傍ら、素人英語で活動。明治43年頃、4代目橘家円喬に入門、右円喬と名乗る。師匠没後、2代目柳亭燕枝門下となり燕洲と改め、のち3代目柳家小さんに師事。大正5年真打昇進に際し三語楼と改名した。独特の口調で漢語・英語をまじえたマクラが評判をとり、在来の噺をアレンジした「寝床」「たぬき」や自作の「九段八景」「徳ちゃん」などを得意とした。昭和初期には俗に三語楼協会といわれた落語協会を率い、傘下に柳家金語楼、初代柳家権太楼、初代柳家三亀松などを擁した。晩年、胃癌のため引退し、13年同病で死去した。
- 没年月日
- 昭和13年 6月29日 (1938年)
- 伝記
- 談志 最後の落語論忘れえぬ落語家たち私の出会った落語家たち―昭和名人奇人伝落語家―いま、むかし落語長屋の知恵 立川 談志 著興津 要 著宇野 信夫 著興津 要 著矢野 誠一 著(発行元 梧桐書院河出書房新社河出書房新社旺文社青蛙房 ’09’08’07’87’86発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
柳家三語楼
やなぎやさんごろう
落語家。初代が3代目柳家小さん門下にあったが伝不詳。
[関山和夫]
(1875―1938)本名山口慶二(けいじ)。4代目橘家円喬(たちばなやえんきょう)に入門して右円喬(うえんきょう)。師没後、2代目柳亭(りゅうてい)(談洲楼(だんしゅうろう))燕枝(えんし)門に移り燕州(えんしゅう)となったが、さらに3代目柳家小さん門下となって三語楼襲名。大正時代に誇張した演出や英語交じりの独特の落語で人気があったが晩年は不遇であった。
[関山和夫]
5代目柳家小さんの長男で6代目小さんの前名。
[関山和夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
柳家 三語楼(1代目)
ヤナギヤ サンゴロウ
大正・昭和期の落語家
- 生年
- 明治8年3月(1875年)
- 没年
- 昭和13(1938)年6月29日
- 出身地
- 神奈川県横浜市
- 本名
- 山口 慶二
- 別名
- 前名=橘家 右円喬,談洲楼 燕洲
- 学歴〔年〕
- セント・ジョセフ・カレッジ卒
- 経歴
- 横浜の運送業の家に生まれ、セント・ジョセフ・カレッジを卒業、商館勤めの傍ら、素人英語で活動。明治43年頃、4代目橘家円喬に入門、右円喬と名のる。師匠没後、2代目柳亭燕枝門下となり燕洲と改め、のち3代目柳家小さんに師事。大正5年真打昇進に際し三語楼と改名した。独特の口調で漢語・英語をまじえたマクラが評判をとり、在来の噺をアレンジした「寝床」「たぬき」や自作の「九段八景」「徳ちゃん」などを得意とした。昭和初期には俗に三語楼協会といわれた落語協会を率い、傘下に柳家金語楼、初代柳家権太楼、初代柳家三亀松などを擁した。晩年、胃癌のため引退し、13年同病で死去した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
柳家三語楼(初代) やなぎや-さんごろう
1875-1938 明治-昭和時代前期の落語家。
明治8年3月生まれ。4代橘家円喬(たちばなや-えんきょう),2代談洲楼燕枝,3代柳家小さんに師事。英語をまじえたユニークな噺(はなし)で評判をとり,大正5年真打。本来は2代だが,現在は初代とされる。昭和13年6月29日死去。64歳。神奈川県出身。セント-ジョセフ-カレッジ大卒。本名は山口慶二。前名は橘家右円喬,談洲楼燕洲。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の柳家三語楼の言及
【落語】より
…
[大正から昭和初期の落語界]
大正になると,活動写真やオペラの流行から落語は不況に向かったが,小さん,円右,円蔵の重鎮以外では,2代蝶花楼馬楽(ちようかろうばらく)(1864‐1914),初代柳家小せん(1883‐1919),4代古今亭志ん生(当時は金原亭馬生)の3人が江戸っ子風の反俗的芸風によって,多くのファンや文学者に愛された。また,英語まじりのナンセンス噺によって,特異な人気を集めた初代柳家三語楼(1875‐1940)もいた。 大正から昭和にかけての上方落語は衰退の一途をたどった。…
※「柳家三語楼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」