デジタル大辞泉
「柳家小さん」の意味・読み・例文・類語
やなぎや‐こさん【柳家小さん】
落語家。
(3世)[1856~1930]江戸の人。本名、豊島銀之助。「らくだ」「うどん屋」などの上方落語を東京に移す。夏目漱石が名人と賞賛したことでも有名。
(4世)[1888~1947]東京の生まれ。本名、平山菊松。「長屋の花見」「湯屋番」「ろくろ首」などを得意とした。
(5世)[1915~2002]長野の生まれ。本名、小林盛夫。芸術祭奨励賞受賞。人間国宝。「親子酒」「宿屋の富」「粗忽長屋」などを得意とした。
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やなぎや‐こさん【柳家小さん】
- 落語家。(三代)本名豊島銀之助。常磐津(ときわず)の太夫から初代柳亭燕枝、二代目小さんの弟子となり、明治三〇年(一八九七)三代目を襲名。「らくだ」「にらみ返し」などを得意とし、名人といわれた。安政四年~昭和五年(一八五七‐一九三〇)
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柳家 小さん(5代目)
ヤナギヤ コサン
- 職業
- 落語家
- 肩書
- 落語協会会長 重要無形文化財保持者(古典落語)〔平成7年〕
- 本名
- 小林 盛夫(コバヤシ モリオ)
- 別名
- 前名=柳家 栗之助,柳家 小きん,柳家 小三治(9代目)(ヤナギヤ コサンジ)
- 生年月日
- 大正4年 1月2日
- 出生地
- 長野県 長野市
- 出身地
- 東京市 浅草区(東京都 台東区)
- 学歴
- 東京市立商夜間部中退
- 経歴
- 大正7年東京・浅草に移住。弁護士事務所の給仕をしながら夜学に通う中で落語家を志し、昭和8年4代目柳家小さんに入門、栗之助を名乗る。11年応召して二等兵となるが、所属していた麻布三連隊が2.26事件の決起部隊に組み込まれるという経験をする。14年小きんで二ツ目に進み、2代目三遊亭歌笑、4代目柳亭痴楽らと若手のホープと目されたが、18年再び召集され、仏印で終戦を迎えた。21年復員。22年9代目柳家小三治として真打ちに昇進するが間もなく師が急逝、8代目桂文楽の預かり弟子となり、25年5代目小さんを襲名。表情豊かな明るい芸風で、正統派の落とし噺を貫き、多くの落語を習った7代目三笑亭可楽を通じて、滑稽噺の名人といわれた3代目小さんの芸風を継ぐと評された。中でも「粗忽長屋」「長屋の花見」など長屋噺に定評があり、また「時そば」でのそばのすすり方や「試し酒」での酒の飲み方など、その真に迫った仕草は絶品として知られた。落語以外にも「百面相」といった珍芸も演じた。8代目文楽、5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭円生、8代目林家正蔵と並ぶ昭和落語界の大看板として活躍、平成7年には落語家初の人間国宝となった。門下からは立川談志、10代目柳家小三治らを輩出、長男の6代目柳家小さん、孫の柳家花緑も落語家として活躍する。他の得意演目に「笠碁」「らくだ」「宿屋の富」「親子酒」「禁酒番屋」「お神酒徳利」「御慶」「かぼちゃ屋」「猫久」「うどん屋」などがある。昭和47年からは落語協会会長を務め、協会の改革に尽くしたが、53年真打ちの大量昇進や昇進試験などの問題で前会長であった6代目円生と対立して円生一門の脱退を招き、58年には愛弟子であった談志とも真打ち制度をめぐって衝突し、談志一門の離脱騒動が起こった。平成8年退任、最高顧問。
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和55年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和60年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和37年・42年〕,日本放送演芸大賞(功労賞 第12回)〔昭和58年〕,東京都民文化栄誉章〔昭和59年〕,日本酒大賞〔昭和61年〕,NHK放送文化賞(第38回)〔昭和62年〕,浅草芸能大賞〔平成2年〕,伝統文化ポーラ賞(大賞 第13回)〔平成5年〕,豊島区名誉区民〔平成7年〕,東京都名誉都民〔平成11年〕
- 没年月日
- 平成14年 5月16日 (2002年)
- 家族
- 長男=柳家 小さん(6代目),孫=小林 十市(バレエダンサー),柳家 花緑(落語家)
- 伝記
- 落語のこと少し落語大看板列伝―枝雀・文治・柳昇・馬生・小さん談志 最後の落語論噺家ライバル物語談志絶倒 昭和落語家伝噺家渡世―扇橋百景師匠噺小さんの娘 ハッピー出もどりこんな落語家(はなしか)がいた―戦中・戦後の演芸視花緑の落語江戸ものがたり―師匠小さんの想い出とたどる咄も剣も自然体昭和・平成タレント太平記―私をトリコにした男たち貞丈のお笑い芸界銘々伝浅草のひと―久保田万太郎から渥美清まで五代目小さんの昔ばなし寄席放浪記―なつかしい芸人たち 矢野 誠一 著落語ファン倶楽部 編立川 談志 著大友 浩 著立川 談志 著,田島 謹之助 写真入船亭 扇橋 著,長井 好弘 編浜 美雪 著小林 喜美子 著小島 貞二 著柳家 花緑,小野 幸恵 著柳家 小さん 著林家 木久蔵 著一龍斎 貞丈 著鈴木 としお 著柳家 小さん,川戸 貞吉 著色川 武大 著(発行元 岩波書店白夜書房梧桐書院ソフトバンククリエイティブ大和書房うなぎ書房河出書房新社ぴあうなぎ書房近代映画社東京新聞出版局学習研究社日本デザインクリエーターズカンパニー東京新聞出版局冬青社廣済堂出版 ’09’09’09’08’07’07’07’05’03’03’94’91’90’89’88’88発行)
柳家 小さん(3代目)
ヤナギヤ コサン
- 職業
- 落語家
- 本名
- 豊島 銀之助
- 別名
- 前名=柳家 燕枝,柳家 小三治
- 生年月日
- 安政4年 8月3日
- 出生地
- 江戸・小石川鷹匠町(東京都 文京区)
- 学歴
- 漢学塾,大学南校
- 経歴
- 一橋藩士の家に生まれ、16歳で家督を相続するが道楽が過ぎて勘当となる。明治15年頃常磐津の太夫から噺家に転じ、初代柳亭燕枝に入門し燕枝を名乗る。一時4代目都々逸坊扇歌門人となり都川歌太郎を名乗る。21年2代目禽語楼小さんの門に入り、柳家小三治を経て、28年3代目小さんを襲名、亭号は柳家をとどめた。「うどんや」「らくだ」「にらみ返し」など多くの上方落語を東京に移した功績は大きく、また第1次落語研究会創始者の1人として、近代東京落語の発展に貢献した。
- 没年月日
- 昭和5年 11月29日 (1930年)
- 伝記
- 落語名人伝落語文化史―笑いの世界に遊ぶ 関山 和夫 著朝日新聞社 編(発行元 白水社朝日新聞社 ’92’86発行)
柳家 小さん(4代目)
ヤナギヤ コサン
- 職業
- 落語家
- 本名
- 平山 菊松
- 旧名・旧姓
- 大野
- 別名
- 前名=柳家 小三治,蝶花楼 馬楽(4代目)(チョウカロウ バラク)
- 生年月日
- 明治21年 4月18日
- 出生地
- 東京府麹町区(東京都 千代田区)
- 経歴
- 明治39年19歳の時3代目柳家小さんに入門。小菊、小きん、小三治、4代目蝶花楼馬楽の名を経て、昭和3年4代目小さんを襲名。警句と風刺に富んだ軽妙洒脱な芸風で知られ、「ろくろ首」「長屋の花見」「湯屋番」「おせつ徳三郎」などを得意とした。21年落語家協会会長就任。昭和を代表する落語家。久保田万太郎の対談「小さんとの対談」(「改造」昭和16年)がある。
- 没年月日
- 昭和22年 9月30日 (1947年)
- 伝記
- 忘れえぬ落語家たち寄席放浪記―なつかしい芸人たち落語家―懐かしき人たち 興津 要 著色川 武大 著興津 要 著(発行元 河出書房新社廣済堂出版旺文社 ’08’86’86発行)
柳家 小さん(2代目)
ヤナギヤ コサン
- 職業
- 落語家
- 本名
- 大藤 楽三郎
- 別名
- 別名=禽語楼 小さん(キンゴロウ コサン),晩名=柳家 禽語楼
- 生年月日
- 嘉永2年 8月
- 出生地
- 日向国(宮崎県)
- 経歴
- 元延岡藩士。維新前に初代柳家燕枝に入門。燕静、燕寿の名を経て、明治16年2代目柳家小さんを襲名。「猫久」を得意とし、3代目三遊亭円遊とともに滑稽話の名手と称され、明治中期の東京落語界で人気を博した。その声が高調子で能弁であったため、軍医総監・松本順に“禽語楼”の号を贈られ、21年両国で盛大な楼号披露を催した。28年弟子の小三治に3代目を譲り、柳家禽語楼を名乗る。
- 没年月日
- 明治31年 7月3日 (1898年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
柳家小さん
やなぎやこさん
落語家。
[関山和夫]
生没年不詳。初代春風亭柳枝(しゅんぷうていりゅうし)門下。音曲噺(おんぎょくばなし)、人情噺を得意とした。晩年、4代目朝寝坊むらく襲名。
[関山和夫]
(1849―98)本名大藤楽三郎(おおふじらくさぶろう)。初代柳亭燕枝(りゅうていえんし)に入門し、燕花(えんか)、燕静(えんせい)、燕寿(えんじゅ)から2代目小さんとなり、のちに禽語楼(きんごろう)小さんと称した。滑稽(こっけい)噺をもって明治中期に活躍。
[関山和夫]
(1857―1930)本名豊島(としま)銀之助。初め常磐津(ときわず)の太夫(たゆう)で家寿太夫。落語に転じて初代柳亭燕枝に入門し燕花。のち4代目都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)門人となって都川(みやこがわ)歌太郎。さらに2代目小さん門下に移って小三治から1897年(明治30)に3代目を襲名。『うどん屋』『らくだ』『にらみ返し』など上方(かみがた)落語を多数東京に移し、名人とうたわれた。第一次落語研究会創始者の一人で、優れた人格者でもあった。
[関山和夫]
(1888―1947)本名平山菊松。3代目小さんに入門し、小菊、小三治、蝶花楼馬楽(ちょうかろうばらく)を経て1928年(昭和3)に4代目を襲名。『ろくろ首』『長屋の花見』など名高座が好評。
[関山和夫]
(1915―2002)本名小林盛夫(もりお)。4代目小さんに入門して栗之助(くりのすけ)、小きん、小三治を経て1950年(昭和25)に5代目を襲名。72~96年落語協会会長。『三軒長屋』『長屋の花見』『らくだ』など滑稽噺を得意とする昭和の大型落語家。1995年(平成7)落語界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
[関山和夫]
(1947― )本名小堀義弘(よしひろ)。5代目小さんの長男。父である小さんに入門し、小太郎、小ゑん、三語楼(さんごろう)を経て2006年(平成18)に6代目を襲名。
[関山和夫]
『『柳家小さん集』上下(1966、67・青蛙房)』▽『興津要編『柳家小さん芸談・食談・粋談』(1975・大和書房)』▽『『咄も剣も自然体』(1994・東京新聞出版局)』▽『CD Book『五代目柳家小さん落語全集』(2000・小学館)』
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柳家 小さん(5代目)
ヤナギヤ コサン
昭和・平成期の落語家 元・落語協会会長。
- 生年
- 大正4(1915)年1月2日
- 没年
- 平成14(2002)年5月16日
- 出生地
- 長野県長野市
- 出身地
- 東京市浅草区(現・東京都台東区)
- 本名
- 小林 盛夫
- 別名
- 前名=柳家 小三治(9代目)(ヤナギヤ コサンジ)
- 学歴〔年〕
- 東京市立商夜間部中退
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭賞奨励賞〔昭和37年・42年〕,紫綬褒章〔昭和55年〕,日本放送演芸大賞(功労賞 第12回)〔昭和58年〕,都民文化栄誉章〔昭和59年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和60年〕,日本酒大賞〔昭和61年〕,NHK放送文化賞(第38回)〔昭和62年〕,浅草芸能大賞〔平成2年〕,伝統文化ポーラ賞(大賞 第13回)〔平成5年〕,豊島区名誉区民〔平成7年〕,東京都名誉都民〔平成11年〕
- 経歴
- 昭和8年4代目小さんに入門、栗之助を名乗る。11年麻布三連隊に召集され、2.26事件では二等兵として反乱部隊に。14年小きんで二ツ目に昇進。18年再び召集され仏印に駐屯、21年復員した。22年小三治で真打ちに昇進。25年5代目小さんを襲名。47年〜平成8年落語協会会長を務めた。7年落語家初の人間国宝に。明るい芸風で、得意演目は「粗忽長屋」「長屋の花見」「時そば」「試し酒」「笠碁」「らくだ」「宿屋の富」など。また、そばやうどんを食べるしぐさは絶品として知られた他、「百面相」などの芸でも有名。映画、テレビにも出演し、13歳から始めた剣道は北辰一刀流7段範士。立川談志(のち破門)、柳家小三治をはじめ数多くの弟子を持ち、長男の三語楼、孫の花緑も落語家として活躍。著書に「噺も剣も自然体」「柳家小さん集」(上下)がある。
柳家 小さん(3代目)
ヤナギヤ コサン
明治・大正期の落語家
- 生年
- 安政4年8月3日(1857年)
- 没年
- 昭和5(1930)年11月29日
- 出生地
- 江戸・小石川鷹匠町(東京都文京区)
- 本名
- 豊島 銀之助
- 別名
- 前名=柳家 燕枝,柳家 小三治
- 学歴〔年〕
- 漢学塾,大学南校
- 経歴
- 一橋藩士の家に生まれ、16歳で家督を相続するが道楽が過ぎて勘当となる。明治15年頃常磐津の太夫から噺家に転じ、初代柳亭燕枝に入門し燕枝を名のる。一時4代目都々逸坊扇歌門人となり都川歌太郎を名のる。21年2代目禽語楼小さんの門に入り、柳家小三治を経て、28年3代目小さんを襲名、亭号は柳家をとどめた。「うどんや」「らくだ」「にらみ返し」など多くの上方落語を東京に移した功績は大きく、また第1次落語研究会創始者の1人として、近代東京落語の発展に貢献した。
柳家 小さん(4代目)
ヤナギヤ コサン
大正・昭和期の落語家
- 生年
- 明治21(1888)年4月18日
- 没年
- 昭和22(1947)年9月30日
- 出生地
- 東京府麴町区(現・東京都千代田区)
- 本名
- 平山 菊松
- 旧姓(旧名)
- 大野
- 別名
- 前名=柳家 小三治,蝶花楼 馬楽(4代目)(チョウカロウ バラク)
- 経歴
- 明治39年19歳の時3代目柳家小さんに入門。小菊、小きん、小三治、4代目蝶花楼馬楽の名を経て、昭和3年4代目小さんを襲名。警句と風刺に富んだ軽妙洒脱な芸風で知られ、「ろくろ首」「長屋の花見」「湯屋番」「おせつ徳三郎」などを得意とした。21年落語家協会会長就任。昭和を代表する落語家。久保田万太郎の対談「小さんとの対談」(「改造」昭和16年)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
柳家小さん (やなぎやこさん)
落語家。(1)初代 初代春風亭柳枝(りゆうし)門下。生没年不詳。音曲(おんぎよく)噺,人情噺の名手。黒アバタの醜男なので,逆にやさしい女のような名をつけたといわれる。のちに4代むらくを襲名した。(2)2代(1850-98・嘉永3-明治31) 本名大藤楽三郎(おおふじらくさぶろう)。初代柳亭燕枝(りゆうていえんし)門下。燕勢,燕寿を経て襲名。3代三遊亭円遊と並ぶ滑稽噺の名手として明治中期の東京落語界で人気を博した。晩年は禽語楼(きんごろう)小さんと改名。得意は《猫久》。(3)3代(1856-1930・安政3-昭和5) 本名豊島(としま)銀之助。常磐津語りから落語界に転じ,音曲師の4代目都々一坊(どどいつぼう)扇歌門下で歌太郎と称した。のちに2代小さん門に移り,燕歌,小三治を経て襲名。浅薄な滑稽噺に人情噺の人物描写の技法を導入し,落語を高度な芸術にした近代の名人で,第1次〈落語研究会〉の中心をなした。《らくだ》《碁泥(ごどろ)》《にらみ返し》などの上方落語を東京に移植して,近代東京落語の発展に貢献した。得意は《らくだ》《うどんや》など。(4)4代(1888-1946・明治21-昭和21) 本名平山菊松。3代門下。小菊,小三治,蝶花楼馬楽(ちようかろうばらく)を経て襲名。警句に富む軽妙洒脱な芸風で,得意は《湯屋番》《長屋の花見》など。(5)5代(1915-2002・大正4-平成14)本名小林盛夫(もりお)。4代門下。栗之助,小きん,小三治を経て襲名。3代小さんの本格落語の伝統に直結する芸風で,得意は《三人旅》《御慶(ぎよけい)》など。
執筆者:興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
柳家小さん(6世)
やなぎやこさん[ろくせい]
[生]1947.7.21. 東京,豊島
落語家。本名小堀義弘。父は 5世柳家小さん。1963年父に入門し,前座名は柳家小太郎。1967年二つ目に昇進し,柳家小ゑんと改名。1976年真打ちに昇進し,3世柳家三語楼を襲名。2003年父も演じていた山田洋次の新作落語『真二つ』『目玉』を口演し芸術祭賞大賞受賞。2006年 6世柳家小さんを襲名。父の芸風,ネタ,心情を受け継ぎ寄席などで活動。著書『ぜいたくな落語家』(2006)。(→落語)
柳家小さん(3世)
やなぎやこさん[さんせい]
[生]安政4(1857).8.3. 江戸
[没]1930.11.29. 東京
落語家。本名豊島銀之助。目白の武家の生れ。常磐津節を習い,4世都々逸坊扇歌の門に入り,のち禽語楼小さんの弟子になった。上方落語を東京風に取入れて成功,夏目漱石をして天才といわしめた。『らくだ』『うどんや』などが得意。
柳家小さん(5世)
やなぎやこさん[ごせい]
[生]1915.1.2. 東京
[没]2002.5.16. 東京
落語家。本名小林盛夫。4世小さん門下。師の没後は8世桂文楽の預かり弟子となり,1950年5世襲名。小さん代々の正統派落とし噺を伝える。 1972~96年まで落語協会会長。 1995年落語界では初めて重要無形文化財保持者に認定された。
柳家小さん(4世)
やなぎやこさん[よんせい]
[生]1888.4.18. 東京
[没]1947.9.30. 東京
落語家。本名平山菊松。畳職の家の生れ。3世柳家小さんの弟子。欲のない飄々とした風格をもち,創作力もあった。得意は,『長屋の花見』『二十四孝』など。落語協会会長をつとめた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
柳家小さん(3代)
没年:昭和5.11.29(1930)
生年:安政4.8.3(1857.9.20)
明治大正期の落語家。一橋家の家臣の子。本名豊島銀之助。はじめ家寿太夫の名で常磐津語りであったが,明治15,6(1882,83)年ごろ初代柳亭燕枝に入門して燕花を名乗る。一時4代目都々逸坊扇歌について都家歌太郎,21年2代目小さん門で柳家小三治,28年師名を譲られ3代目小さんとなる。訥々としたなかに巧まざる可笑しみを生む芸風で昭和初期まで柳派の中心的存在であった。夏目漱石も作中人物に「小さんは天才である」といわせている。「らくだ」「うどんや」「時そば」など上方噺を東京へ移した功績も大きい。門弟多数。<参考文献>「柳家小さん」(『新小説』1903年1月号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
柳家小さん(5代) やなぎや-こさん
1915-2002 昭和-平成時代の落語家。
大正4年1月2日生まれ。昭和8年4代柳家小さんに入門,栗之助,小きんをへて小三治で真打となり,25年5代を襲名。「粗忽(そこつ)長屋」「長屋の花見」など滑稽噺(こっけいばなし)の名人と称され,芸術祭奨励賞などをうける。47年落語協会会長。平成7年人間国宝。剣道は7段範士。平成14年5月16日死去。87歳。長野県出身。本名は小林盛夫。
【格言など】剣道も噺も間が大切。間の悪い奴を間抜けというんだ
柳家小さん(3代) やなぎや-こさん
1857-1930 明治-昭和時代前期の落語家。
安政4年8月3日生まれ。常磐津(ときわず)の太夫から転じ,初代柳亭(のち談洲楼)燕枝(えんし),2代小さんらに入門。明治28年3代小さんをつぐ。夏目漱石をして「小さんは天才である」といわしめた名人。「らくだ」「うどんや」など上方落語を東京にうつした。昭和5年11月29日死去。74歳。江戸出身。本名は豊島銀之助。前名は柳亭燕花,柳家小三治。
柳家小さん(4代) やなぎや-こさん
1888-1947 大正-昭和時代の落語家。
明治21年4月18日生まれ。3代小さんに入門。小菊,小きん,小三治,4代蝶花楼馬楽をへて,昭和3年4代小さんを襲名。淡々とした語りの中に警句をこめ,「長屋の花見」「ろくろ首」などを得意とした。21年落語協会会長。昭和22年9月30日死去。60歳。東京出身。本名は平山菊松。
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柳家小さん【やなぎやこさん】
落語家。近代の名人として知られる3代〔1856-1930〕は本名豊島銀之助。《うどんや》《らくだ》《碁泥(ごどろ)》などを得意とした。4代〔1888-1946〕は本名平山菊松。風刺に富む洒脱(しゃだつ)な芸で,得意は《長屋の花見》《雑俳》など。5代〔1915-2002〕は本名小林盛夫。1950年襲名。本格の芸統をつぎ,得意は《三人旅》《長短》など。
→関連項目立川談志
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柳家 小さん(4代目) (やなぎや こさん)
生年月日:1888年4月18日
大正時代;昭和時代の落語家。落語協会会長
1947年没
柳家 小さん(5代目) (やなぎや こさん)
生年月日:1915年1月2日
昭和時代;平成時代の落語家
2002年没
柳家 小さん(3代目) (やなぎや こさん)
生年月日:1857年8月3日
明治時代;大正時代の落語家
1930年没
柳家 小さん(6代目) (やなぎや こさん)
生年月日:1947年7月21日
昭和時代;平成時代の落語家
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の柳家小さんの言及
【時そば】より
…原話は《坐笑産(ざしようみやげ)》(1773)にある。明治中期,3代柳家小さんが,上方の《時うどん》を改作した噺。むかしは〈夜鷹そば〉などというそば屋が往来を流していたが,そのそばを食べた男が,代金が16文と聞き,〈ひい,ふう,みい,よう,いつ,むう……何時(なんどき)だい〉〈八つで〉〈ここのつ,とお……〉と2文ごまかした。…
【落語】より
…
[落語研究会結成]
1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。初代三遊亭円左(1855‐1911)が,本格の噺の確立をめざして,落語・講談速記界の第一人者今村次郎に相談したことから,4代橘家円喬(1865‐1912),初代三遊亭円右(1860‐1924),初代三遊亭小円朝(1857‐1923),4代橘家円蔵(1864‐1922),3代柳家小さん(1857‐1903)とともに1905年に第1次落語研究会結成の運びとなった。こういう芸道精進から東京落語は黄金時代に入った。…
【らくだ】より
…落語。明治中期に3代[柳家小さん]が上方の《らくだの葬礼》を東京へ移入したもの。〈らくだの馬〉と異名をとる乱暴者がフグにあたって死んだ。…
※「柳家小さん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」