日本大百科全書(ニッポニカ) 「栗林慧」の意味・わかりやすい解説
栗林慧
くりばやしさとし
(1939― )
写真家。昆虫の生態撮影を中心にネイチャー・フォトの分野で1970年代以降、第一人者として活躍している。中国東北地方の奉天(ほうてん/フォンティエン)(現瀋陽(しんよう/シェンヤン))に生まれ、長崎県北松浦郡田平(たびら)町(現平戸市)で少年期を送る。中学卒業後、酒店勤務などを経て1959年(昭和34)に陸上自衛隊へ入隊、以後4年間勤務する。東京の防衛庁(現在の防衛省)直属部隊に配属されていた1961年に東京綜合(そうごう)写真専門学校夜間部に入学、写真の基礎を学ぶが、翌年中退。1963年より保険会社に勤務しつつ、昆虫の撮影に取り組む。1965年小型ストロボを取りつけ、自動絞り機構を工夫した接写用の「昆虫スナップカメラ」を自作し、アリの生態を撮影した組写真『アリ君の日記』でアンスコ・カラーフォトコンテスト最優秀賞を受賞。1969年から生物生態撮影を専門とするフリーランスの写真家として活動を始める。
1970年自然界の瞬間現象をとらえるため光センサーを利用した自動撮影装置の開発に着手。1971年作品展「昆虫の世界」(ペンタックスギャラリー、東京)開催。同年から翌年にかけて沖縄の島々をめぐり、さまざまな昆虫の生態を現地撮影する。1972年より10年間にわたって科学雑誌『自然』の表紙写真を担当。1974年電磁力で作動するシャッターからハイスピード・ストロボまでを自作した撮影装置による作品展「昆虫の飛翔(1/20000秒の世界)」(富士フォトサロン、東京)開催。1977年から長崎県田平町に活動拠点を移す。1978年日本写真協会新人賞受賞。同年、大分県の中津無礼(なかつむれ)川で6年間あまり撮影を続けてきたゲンジボタルの生態のドキュメントで個展「源氏蛍」(ニコンサロン、東京)を開催、同展で伊奈信男賞を受賞する。1982年からビデオによる昆虫の生態記録にも取り組むようになる。1987年科学雑誌『日経サイエンス』で連載「自然の瞬間」を開始し、カタバミの種子が跳ねる瞬間など、植物の高速度撮影においても新しい表現領域をみいだす。1992年(平成4)「栗林自然科学写真研究所」設立。同年日本写真協会年度賞受賞。
1998年「ムシの目で見た風景」の撮影を目ざし、内視鏡レンズとCCDカメラ(固体撮像素子を使用したビデオ映像撮影用カメラ)の応用により接写と同時に背景にもピントが合うスチール用の「超深度接写カメラ」を開発。翌1999年同カメラで撮影した作品により個展「草間の宇宙」(キヤノンサロン、東京)を開催。さらにこの撮影装置にデジタル・カメラの機構を組み合わせた「アリの目カメラ」を自作し、昆虫写真の新たな世界を探求する。
[大日方欣一]
『『原色生態アリの図鑑』(1970・明玄書房)』▽『『科学のアルバム7 アリの世界』(1971・あかね書房)』▽『『沖縄の昆虫』(1973・学習研究社)』▽『『たかしとくろおおあり』(1978・ポプラ社)』▽『『かくれるむし』(1978・福音館書店)』▽『『源氏蛍』(1979・ネイチャー・ブックス)』▽『『栗林慧・人と作品』(1981・玄光社)』▽『『昆虫の飛翔』(1981・平凡社)』▽『『昆虫の世界』(1985・日本カメラ社)』▽『『The Moment――自然の瞬間』(1991・日経サイエンス社)』▽『『虫たちの夜』(1992・フレーベル館)』▽『『栗林慧全仕事』(2001・学習研究社)』▽『『アリになったカメラマン』(2002・講談社)』▽『『ほたる――源氏蛍全記録』(2003・学習研究社)』▽『栗林慧写真、三枝豊平文・解説『カラー自然シリーズ ミノムシ』(1985・偕成社)』▽『栗林慧写真、大谷剛文・解説『カラー自然シリーズ ハンミョウ』(1988・偕成社)』