根市村(読み)ねいぢむら

日本歴史地名大系 「根市村」の解説

根市村
ねいぢむら

[現在地名]宮古市根市

閉伊へい川の中流北岸、千徳せんとく村の南西に位置。中央に根市館跡がある。元亨四年(一三二四)一一月二三日の関東下知状案(宮古田鎖文書)に閉伊三郎左衛門尉光員の遺領「閉河」を嫡子光頼が譲り受けている。閉河へのかわとは根市村の旧称で、船越ふなこし沼田ぬまた(現下閉伊郡山田町)を経て北上してきた閉伊氏は、この地に閉伊川流域定住の第一歩を印した。当時ここには広大な閉伊川の河川敷が広がり、海辺の集落からは舟の便がよく、また長沢ながさわ花輪はなわ方面からは真っすぐに道が続く交通の要路で、閉伊氏は四隣の開発とともに、初めてここに物資交流のための市場を開いた。それがのちの根市の地名の起源とされる。南北朝初期、閉伊宗家が対岸根城ねじように新しい館を築いて移り、跡地一族の根市氏によって守られた(以上「東奥古伝」県立図書館蔵)


根市村
ねいちむら

[現在地名]八戸市尻内しりうち上根市かみねいち中根市なかねいち下根市しもねいち根市渡ノ葉ねいちわたりのは境田さかいだ中道なかみちメドツ河原めどつかわら根市内矢沢ねいちうちやさわ

八戸城下の西、浅水あさみず川の下流右岸の沖積地に位置する。北は根岸ねぎし村、南は大仏だいぶつ村・花崎はなさき村・矢沢やざわ村に接する。藩政当初は盛岡藩に属する。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に根市村、七五石余とあり、同年の郷村帳によれば七五・二八石のうち七二・六五石が田であった。寛文四年(一六六四)八戸藩の創設とともに同藩領に編入され、元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳に高七〇・二九八石、うち田六四・五三七石とある。


根市村
ねいちむら

[現在地名]鹿角市十和田大湯とわだおおゆ 根市

大湯村の南東、黒又くろまた山の東側に位置。冠田かんむりた付近で鹿角街道から分れ、倉沢くらさわを経て根市を縦断宮野平みやのたいへ抜ける道がある。

寛政(一七八九―一八〇一)頃の「邦内郷村志」に村名が出、村高一三石九斗余、民戸五軒、馬四匹。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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