日本歴史地名大系 「根木村」の解説 根木村ねきむら 石川県:鳳至郡穴水町根木村[現在地名]穴水町根木・越の原(こしのはら)七尾北湾に面し、内浦街道が通る。北は志賀浦追分(しがうらおいわけ)、南は鹿島(かしま)村。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北(なんぼく)のうち「ねき」で棟役を負担する役屋は三二間とある。戦国後期頃には「祢き」とあり、長氏の知行分であった(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。正保郷帳では高一二七石余、田方七町四反余・畑方一町余。 根木村ねぎむら 兵庫県:赤穂市根木村[現在地名]赤穂市高雄(たかお)千種(ちくさ)川右岸にあり、南は目坂(めさか)村。姫路街道が同川の渡しで周世(すせ)村に通じる。慶長国絵図には「ねき村」と記される。正保郷帳に根木村とみえ田高一五三石余・畑高一七八石余。草山・新田あり。宝永三年(一七〇六)の指出帳によると高三八四石余。百姓持山三、うち稲荷(いなり)山は当村と木津(きづ)村・目坂村入会の草取場。池一(目坂村と入会)。浄土真宗安楽(あんらく)寺(現真宗大谷派)。百姓家数五九・人数三五二、桶屋一。馬四・牛二〇。中山(なかやま)村に五ヵ村構の井堰。 根木村ねぎむら 埼玉県:児玉郡美里町根木村[現在地名]美里町根木身馴(みなれ)川と志戸(しど)川に挟まれた水田地帯に位置し、水田地帯には条里の区画が残っていたが、圃場整備によって消滅。東は関(せき)村・阿那志(あなし)村、南は那賀(なか)郡古郡(ふるこおり)村・駒衣(こまぎぬ)村、北から西は阿那志村。四周ともに条里区画によって複雑な境界線を示す。正保二年(一六四五)の本庄町外石高等領知図(中原家蔵)では高五〇〇石、家数二七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by