中国、清(しん)代の詩の流派。広義では明(みん)の古文辞派をも含めてよぶことがある。乾隆(けんりゅう)期(1736~95)の格調派の指導者沈徳潜(しんとくせん)は、詩歌における格すなわち体裁と、調すなわち声調とを重視する。彼は漢魏(かんぎ)・盛唐の詩を尊重し、宋元(そうげん)の詩を退け、明詩では李夢陽(りぼうよう)、何景明(かけいめい)、李攀竜(りはんりゅう)、王世貞の達成を唐詩の正統として評価した。また神韻説を主唱した王士禎(おうしてい)に対しては同情を示し、それとの融合をも試みているが、格調と学力とに根底を置いた雄渾(ゆうこん)にして高雅な詩的世界を目ざした。明の古文辞派は悲壮、雄渾、激情を求めて典拠を極度に制限する傾きがあったのに対し、清代には温柔にして学問尊重の傾きが強い。しかし、まず格調を正すことにより詩の内容を獲得しようとしている点は共通している。
[佐藤一郎]
…袁宏道(えんこうどう)(中郎)を中心とする公安派と,鍾惺(しようせい)らの竟陵(きようりよう)派とである。この論争は清朝まで尾を引く(日本では格調派と性霊派とよばれる)。しかし論者自身の実作を見ると,李夢陽は壮大な風景を歌った力づよい詩を作り,何景明の作は優美な抒情性に富み,けっして空疎ではない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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