李夢陽(読み)リボウヨウ(英語表記)Lǐ Mèng yáng

デジタル大辞泉 「李夢陽」の意味・読み・例文・類語

り‐ぼうよう〔‐ボウヤウ〕【李夢陽】

[1472~1529]中国代の詩人慶陽甘粛省)の人。あざな献吉けんきつ。号、空同くうどう。復古説を提唱し、秦漢の文と盛唐の詩を範とすべしと主張古詩に優れた作が多い。前七子の一人。著「空同集」。りむよう。

り‐むよう〔‐ムヤウ〕【李夢陽】

りぼうよう(李夢陽)

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精選版 日本国語大辞典 「李夢陽」の意味・読み・例文・類語

り‐むよう‥ムヤウ【李夢陽】

  1. 中国明の詩人。字は献吉。号は空同子。慶陽(甘粛省)の人。師の李東陽格調説を拡大し、「文は秦漢、詩は盛唐」を文学規範とし、それを模倣することを主張、古文辞派と呼ばれる一派を形成し、文壇に大きな勢力をもった。著に「空同子集」。(一四七二‐一五二九

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改訂新版 世界大百科事典 「李夢陽」の意味・わかりやすい解説

李夢陽 (りぼうよう)
Lǐ Mèng yáng
生没年:1472-1529

中国,明の文人。字は献吉,空同子と号す。甘粛慶陽の人。弘治6年(1493)の進士。劉瑾(りゆうきん)を弾劾して投獄されたが,劉瑾の失脚後,1511年(正徳6)に江西提学副使となった。何景明,徐禎卿らと〈前七子〉あるいは〈正徳の七子〉と称せられる(七子)。〈文は秦漢,詩は盛唐〉を標榜して,模範とする時代と人とに似せて作ることによって,文学の“格調”を得られると説いた。江西提学副使のとき,何景明と手紙で論争し,李夢陽は古めかしい表現の文学を理想とし,何景明は新しくみずみずしい表現の文学を理想とした。その論を〈格調説〉と称する。杜甫を理想として作った詩には,奔放に自己のなげきを打ちだしたロマンの詩があって,読む人の胸をうつ。〈石将軍戦場歌〉などはその一例
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李夢陽」の意味・わかりやすい解説

李夢陽
りぼうよう
(1475―1531)

中国、明(みん)中期の詩人。字(あざな)は献吉(けんきつ)。号は空同。慶陽(陝西(せんせい)省)の人。1493年(弘治6)の進士。官僚としては、その直情径行のゆえに、至る所で衝突し、何度も投獄、左遷されたが、そのためますます有名になった。文学では、李東陽の門人としてその影響を受け、彼の主張をより鮮明にした復古主義を呼号とした。前七子(ぜんしちし)の指導者として、詩文壇を秦(しん)漢の文、盛唐の詩を最高の規範とする運動に巻き込み、以後100年の文学はすべて、この潮流に支配されてしまう。しかしあげくのはては、表面的な古人の模倣に陥り、雄渾(ゆうこん)壮大な措辞もしばしば観念的で、空疎な響きをもつと評される。著に『空同集』がある。伝は『明史』文苑(ぶんえん)伝二に記される。

[福本雅一]

『吉川幸次郎著『中国詩人選二集2』(1963・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李夢陽」の意味・わかりやすい解説

李夢陽
りぼうよう
Li Meng-yang

[生]成化8(1472)
[没]嘉靖8(1529)
中国,明の文学者。慶陽 (甘粛省) の人。字,献吉。号,空同子。弘治7 (1494) 年進士に及第,剛直な人であったため,しばしば権力者と衝突し,左遷,投獄された。特に権臣劉瑾 (りゅうきん) に命をねらわれたが,友人の尽力で救われた。劉瑾が誅せられて,江西提学副使となったが,やはり上役と衝突,停職処分を受け郷里に帰り,余生を過した。初め李東陽に師事したが,その進退にあきたらず門を離れ,東陽の格調説をさらに徹底させて「文は秦,漢,詩は盛唐」に局限して模範とすべきであると主張。何景明とともに「前七子」の指導者として文壇を制した。主著『空同子集』 (66巻) 。

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世界大百科事典(旧版)内の李夢陽の言及

【何景明】より

…1502年(弘治15)20歳で進士となり,中書舎人,吏部員外郎,陝西提学副使を歴任。李夢陽(りぼうよう)らと〈前七子〉(七子)の一人に数えられ,古文辞を唱導した。1511年(正徳6)ごろ李夢陽の模擬に過ぎる作風を批判し,清新な独創の文学を主張した。…

【七子】より

…後漢末の〈建安の七子〉(建安文学)と明代の〈前七子〉〈後七子〉が有名。前七子は明の弘治年間(1488‐1505)に李東陽に抜擢(ばつてき)されて進士となり,正徳年間(1506‐21)に北京で活躍した李夢陽(りぼうよう),何景明,王九思,辺貢,康海,徐禎卿,王廷相の7人の文人である。秦漢の文,盛唐の詩を文学の目標として,明の永楽年間(1403‐24)以後の文壇の沈滞と低迷を打破した。…

【中国文学】より

…あたかも書道における往古のどの名筆を習うべきかの議論に似ている。 明の中期(16世紀前半)の李夢陽(りぼうよう),何景明らの前七子は唐詩の至上をとなえ,同じ世紀の後半李攀竜(りはんりゆう),王世貞らの後七子はその説をさらにおし進めた。《唐詩選》はこの派の教科書であった。…

※「李夢陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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