中国、明(みん)代の中期から末期(16世紀)に、詩文における擬古説を唱え、天下を風靡(ふうび)した一派。李夢陽(りぼうよう)、何景明(かけいめい)ら前七子(ぜんしちし)と、李攀竜(りはんりゅう)、王世貞(おうせいてい)ら後(ご)七子とよばれる人々によって代表され、文は先秦(せんしん)・漢を、詩は漢・魏(ぎ)・盛唐を理想とする。『左伝』『史記』などの古文の法と辞と、李白(りはく)、杜甫(とほ)ら盛唐詩の格調とを重視したので、格調説とよばれ、性霊説(せいれいせつ)、神韻説(しんいんせつ)とともに、明・清(しん)の詩論を代表する。明末、性霊派から模擬、剽窃(ひょうせつ)、陳腐であると非難されて衰え始め、銭謙益(せんけんえき)によって無物(無内容)であると攻撃されたので、清初にはまったく衰えた。なお、日本では享保(きょうほう)年間(1716~36)荻生徂徠(おぎゅうそらい)によって大いに主張されて全盛を極めたが、経学と詩文の兼修を主張する徂徠は「李攀竜、王元美は僅(わず)かに文章の士のみ」と批判している。
[松下 忠]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…徂徠門下からは服部南郭,高野蘭亭などの専門詩人が出て,詩文自立の風潮を定着させた。徂徠一門は,具体的な作風としては,秦・漢の文,盛唐の詩を詩文の絶頂と考え,それを手本にする擬古主義を主張したので,古文辞派と称される。盛唐詩の光華雄渾な詩風への憧れには浪漫主義という文学的な意義があったのであるが,天明(1781‐89)ごろになると,古文辞派の擬古主義を否定して,もっと近世人の生活感情に即した詩情,表現を求める動きが詩壇に出てきた。…
…朱子学が誤っているとすれば,それは四書五経を誤読し,そこに書かれている聖人の教えを誤解したということであるから,徂徠は,二つの疑問を解決するためには四書五経を正確に読解せねばならず,それには四書五経の言語=古代中国語に習熟するところから始めねばならないと考えた。おりから徂徠は,中国明代の古文辞派と呼ばれる文学集団の指導者李攀竜(りはんりよう),王世貞(おうせいてい)の文集に接して,古代中国語に習熟するための方法について大きな示唆を与えられた。古文辞派は,〈文は必ず秦漢,詩は必ず盛唐〉というスローガンのもとに,秦漢の文,盛唐の詩を徹底的に模倣する擬古主義の文学運動を展開した一派である。…
※「古文辞派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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