党錮の禁(読み)トウコノキン

デジタル大辞泉 「党錮の禁」の意味・読み・例文・類語

とうこ‐の‐きん〔タウコ‐〕【党錮の禁】

中国後漢末に起こった学問弾圧事件儒教学派の官僚党人)が宦官かんがん専横に対抗しようとし、逆に終身禁錮に処せられた。党錮の獄。

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精選版 日本国語大辞典 「党錮の禁」の意味・読み・例文・類語

とうこ【党錮】 の 禁(きん)

  1. とうこ(党錮)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「党錮の禁」の意味・わかりやすい解説

党錮の禁
とうこのきん

中国、後漢(ごかん)末期に起こった一連の弾圧事件。党とは党人(知識人のグループ)、錮とは禁固(公職追放)を意味する。公権に癒着し寄生する宦官(かんがん)勢力と、これに対抗して漢の公的機関としての回復を主張する民間勢力の党争である。159年桓帝(かんてい)が宦官の協力を得て外戚梁(がいせきりょう)氏を排除したことは、宦官に朝政を専断させる契機となった。このときの5人の宦官(五邪)を中心とする濁流に対して、当代の清忠の名士と称された李膺(りよう)、陳蕃(ちんばん)を領袖(りょうしゅう)とする清流勢力は、濁流により仕官の途をふさがれた太学生をはじめ、各地の処士により形成された。この争いは、清流が濁流専横を攻撃する全国的な党争へと拡大し、166年、清流党人は、朝廷を誹謗(ひぼう)したという理由で弾圧され、200余人が獄に下された(第一次党錮の禁)。このときは翌年には解除された。次の霊帝の代には、宦官が漢朝を私物化し、中央では十常侍(10人の中常侍)が、州郡ではその父兄子弟、婚親、賓客が財利を専有した。168年、外戚の竇武(とうぶ)は党人を登用して宦官の誅滅(ちゅうめつ)を企てたが失敗し、ふたたび党人は弾圧を受けた。李膺、杜密(とみつ)ら100余人の高官が殺害、獄死させられ、これに付随した官僚数百人が終身禁固に処せられた(第二次党錮の禁)。184年、黄巾(こうきん)の乱勃発(ぼっぱつ)を機に、黄巾との結合を恐れた中央は党錮を解除したが、党争による政治の空転は、後漢王朝の自滅を招く原因となった。

[上田早苗]

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改訂新版 世界大百科事典 「党錮の禁」の意味・わかりやすい解説

党錮の禁 (とうこのきん)

中国,後漢末の政治事件。党錮とは党人の禁錮をさす。桓帝(在位147-167)のとき宦官が政権を私物化し,儒家の官僚士大夫とこれを擁護する首都の太学生,地方の書生を中心に宦官批判が展開された。166年(延熹9)宦官派は彼らを党人として一斉に検挙,政界から終身追放する禁錮に処した。168年(建寧1)外戚竇武(とうぶ)は党人を起用,宦官誅滅を謀って失敗,翌年党人に対する徹底した弾圧と禁錮が行われた。この事件で政府は空洞化,後漢王朝は滅亡へと向かう。
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旺文社世界史事典 三訂版 「党錮の禁」の解説

党錮の禁
とうこのきん

後漢 (ごかん) 末期の2世紀後半に起きた,宦官 (かんがん) と儒学的教養をもつ官僚や知識人(党人)との衝突,および前者の後者に対する迫害事件
後漢では儒学的気節を重んじる官僚の進出がめざましく,宦官と外戚 (がいせき) との三者鼎立 (ていりつ) の形となり,特に宦官との間に激烈な勢力争いをひき起こした。その巨頭李膺 (りよう) が宦官の一派を処刑したことから,166年党人200余人が逮捕され,翌年郷里で終身禁錮に処せられた。のち外戚と結んで宦官を除こうとしたが失敗,逆に党人の多くが捕らえられて処刑された。ここに宦官の横暴がますますひどくなり,後漢滅亡の一因となった。

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百科事典マイペディア 「党錮の禁」の意味・わかりやすい解説

党錮の禁【とうこのきん】

中国,後漢末,儒学の教養を身につけた官僚(党人)が宦官(かんがん)に迫害された事件。後漢では気節を尊び,清廉を重んずる官僚が多くなり,宮中勢力を形成していた宦官と対立,166年には党人200余人が投獄され,169年には100余人が処刑された。以後宦官の横暴はますますつのり,後漢を滅亡に導く要因となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「党錮の禁」の解説

党錮の禁(とうこのきん)

後漢末の政界では,宦官(かんがん)と儒教学徒の官僚(党人)との反目が激化した。宦官は宮廷と結び,166年以降たびたび党人を弾圧し,終身禁固に処した。のち黄巾(こうきん)の乱が起こり禁令は解除された。

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世界大百科事典(旧版)内の党錮の禁の言及

【桓帝】より

…外戚の梁冀が専横を極めたので,宦官の協力を得て梁氏を族誅した。これ以後は宦官が横暴となり,李膺・陳蕃らを領袖とする清廉な党人とはげしく対立し,党錮の禁をおこす。桓帝みずからが浮図(仏陀)と老子を尊崇して旧来の儒教独尊の風潮に新しい気運を開き,また音楽を愛好し,琴瑟をよくした。…

※「党錮の禁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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