小説家、詩人。本名梁正雄(ヤンジョンウン)。大阪市に在日朝鮮人二世として生まれる。大阪府立高津高校(定時制)卒業。19歳のころ、詩人の金時鐘(きんじしょう/キムシジョン)と出会い、詩誌『ヂンダレ』の会員になり、その後しばらく詩に没頭していた時期が続く。22歳のとき、旧陸軍大阪造兵廠(ぞうへいしょう)跡の鉄屑(てつくず)掘りで勇名をとどろかせた集団「アパッチ族」に参加。この時期の模様はのちに『夜を賭(か)けて』(1994。直木賞候補作)で詳しく語られるが、梁石日の小説は基本的に自らの人生と出自を振り返るものが多い。1961年(昭和36)、結婚。父親が経営していたかまぼこ工場の跡で印刷事業を始める。ところが、事業の拡大を図るも失敗し、大阪を出奔、仙台に逃げる。この間の顛末(てんまつ)も『子宮の中の子守歌』(1992)で詳細に描かれる。しかし、仙台での生活も長くはもたず、ふたたび逃亡し東京でタクシー運転手となる。このときすでに33歳になっていた。この時期のことは『睡魔』(2001)と重なる。
その後、タクシー運転手生活を10年ほど続けるかたわら、評論家岡庭昇(おかにわのぼる)(1942―2021)主宰の『同時代批評』に参加。同誌や『文芸展望』『使者』などに短編を執筆。それらをまとめて『狂躁曲』(1981。のちに『タクシー狂躁曲』と改題)を刊行する。このときの体験は『タクシードライバー日誌』(1984)、『ドライバー・最後の叛逆(はんぎゃく)』(1987)、『タクシードライバーほろにが日記』(1993)と一連のドライバーものに描かれる。その一方で、家族の愛情や事業の失敗など実体験をもとにした小説『族譜の果て』(1989)、新宿歌舞伎町(かぶきちょう)で犯罪ビジネスに手を染めていく2人の在日朝鮮人の若者を主人公とする『夜の河を渡れ』(1990)、フィリピン女性ダンサーの悲劇と日本に帰化した元韓国人の波瀾(はらん)の人生を描く『断層海流』(1993)など、着実に作家としての地歩を固めていく。また、自らの人生をたどったノンフィクション『修羅を生きる』(1995)のなかで、父親との確執、葛藤(かっとう)をかなり詳細に書き記したことによって、梁石日はひとつの転機を迎える。いつかは超えなければならない壁だった存在=父親をこれまで以上に強く意識するようになった梁は、畢生(ひっせい)の力作『血と骨』(1998。山本周五郎賞受賞)を書き上げた。強烈な自我、激しい欲望、そして過剰な暴力衝動を持て余しながら、壮絶で破滅的な人生を生きた男の半生を、圧倒的な迫力で描いた本作は、同時に第二次世界大戦前から戦後にかけての在日朝鮮人コミュニティのクロニクルともなっている。
[関口苑生]
『『ドライバー・最後の叛逆』(1987・情報センター出版局)』▽『『タクシードライバーほろにが日記』(1993・書肆ルネッサンス)』▽『『断層海流』(1993・青峰社)』▽『『睡魔』(2001・幻冬舎)』▽『『子宮の中の子守歌』『夜を賭けて』(幻冬舎文庫)』▽『『修羅を生きる』『血と骨』(幻冬舎アウトロー文庫)』▽『『タクシードライバー日誌』(ちくま文庫)』▽『『族譜の果て』(徳間文庫)』▽『『夜の河を渡れ』(新潮文庫)』▽『『タクシー狂躁曲』(角川文庫)』▽『梁石日・高村薫著『快楽・救済』(1998・NHK出版)』
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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